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25分で書く。さいきん

どうも、僕です。

なんや、寝れへんし、1時までに文章かいたろか〜い、のお時間です。

ちなみに僕にとっては夜は6時半からで12時は深夜、1時は寝なきゃまずいラインであることを書いておきます。

最近の僕のコーナー、まーじでだれも興味無いですよね、きっと吐き気がするレベルだと思います。死ねやって思うと思います。僕もそう思います。しばしお付き合いを。

上の通り、僕はありえん卑屈です。実は。実はというか自分では隠しているつもりは全くないのですが。喋りが明るいせいでなんだ軽く生きてると思われがちみたいなので。

自分のことを考えると、気持ちが悪くて仕方がありません。でも、他人のことを考えている間はそれを避けることができます。

僕がいつもいつも他人と喋ってたがったり、人のことばかり見て自分のことを疎かにするのはこういうところからきています。他人にしか興味が無いとか言ったりします。

最近では、サークルの先輩方の卒業ライブが、コロナで延期したために行われた代替ライブに誘っていただいて、めちゃくちゃミスって大勢の人の前で泣きました。

あんなに大勢の人の前で泣いたのは、高一の体育祭が楽しすぎて終わるのを悔やんで最後の挨拶で泣いてしまった時以来で、自分としては結構ビッグなイベントでした。

なんで泣いたんだろうなって。楽器にそんなにプライドがある訳じゃなくて、自分の演奏をいいものとして心の中で扱ったり絶対にしないのに、なんで泣いたんだろう。と考えました。

確かあの時は本当に、悔しさじゃなくて、悲しさでした。「自分が先輩に迷惑をかけた」という事実が、僕の中に存在するスーパーハイパーウルトラ卑屈エンジンの燃料になってしまって、自分が嫌になってしまう状態になりました。止まりません。

僕は今、この卑屈さを治したいと考えています。

しかし頭で考えた論理で卑屈さが治るわけが無いのです。頭で考える行為そのものがきっと既に卑屈だからです。

そうなってくると、自分ではどうしようもないのかと思ってしまって、生まれ育った環境とか才能とかのせいにしてしまう。それはさらに卑屈であろうし、もうなにがなんだかわからない状態です。

こう考えていくと、ある段階で、「ああ、こんなこと考えててキモイな」って気持ちが自分の中で湧いてきます。そしてまた、それを忘れて、忘れるように努めて、他人主体に生きる毎日。

だから、僕の周りにいる、素敵な人たちというのは、実は本当に僕の生きるエネルギーになっています。

サークルのイカれた仲間、可愛い後輩たち、バイト先の店長、頼りになる友人、皆が僕の人生を「直接」彩っています。すごい。

いつもありがとうと同時に、こんな僕でごめんねが浮かんでしまう僕ですが、なんとなしに空気ぐらいに思ってこれからも関わってくれたら嬉しいなって思います。

おやすみ。ちょっとオーバーしちゃった。

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