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平凡な殺意、感想

今発売中の新潮に、村田沙耶香さんの「平凡な殺意」というエッセイが載っているのだけど、この狂った世界でサバイバルしているひとたちみんなに、ぜひ読んでほしいエッセイだと思った。

詳しくは本を手にとってもらいたいのだけれども、自分に対しても、誰かに対しても、死んでしまえ、殺してやりたい、という感覚が「平凡」である、と書けてしまう彼女はたぶんもう、心配がいらないだろうとわたしは思った。書くことで自分を癒し解放することを真摯にやってらっしゃる、稀有な作家さんである。

このタイトルにひっかかってどうしても読みたいと思ったのには、理由がある。わたしの母が、父に対して「殺してやりたいと思う」というようなことを、どうやらのたまったらしい。そんなことを小耳にはさんでいたからだ。

怒りや殺意というものは、ものすごく尖ったエネルギーであり、それはもう、そこに至るまでにさんざん長い間の抑圧と葛藤がある。だから、そこまで煮詰まってしまうことに対して、わからないでもない。誰でも、同じような境遇になれば、そう感じてしまうのも無理がないのだと思う。

だが、そのエネルギーを丁寧に、もっと解像度をあげてとらえていけば、いったい何に対してそこまで、破壊したいと思ってしまうのか、が見えてくる。そこには途方もない絶望感と長い長い抑圧があり、その物語のトリガーとして、今ここの殺意、というものが「平凡に」存在するわけだ、、

村田さんは、自分の左手を自分の右手で必死に抑え、衝動的に自分や他人を傷つけてしまわないよう必死に抑えていた時期のことも書いてらっしゃる。
彼女が殺してしまいたいとまで思う「Z氏」の描写を見る限り、わたしでもこの人は我慢ならないな、と思った。
だが、おそらくこのZ氏のふるまいは、どこにでもいるエリート優等生の典型例だ。こういった種類の能力をもった人を潰すことにかけては天才的な。
彼女が長い間苛まれたこの種のきつさは、この種の突出をもたない人にはぴんとこないだろうことも。
ほとんどアンスクーラーだけに訪れる試練、みたいなものとも似ている。だから彼女はずっと、孤独に戦ってきたのだと思う。

そして、彼女はその、超えてはならない一線は超えることなく、そしてちゃんと、言葉で相手と対峙することで、彼女の内なる怪物に勝利している。
占星術的にいうならば、火星の使い方を正しく使ったようなもので、ほんとうに圧巻だ。短いエッセイだけど、そしてものすごく些細な葛藤との対峙のようにみえてしまうかもしれないけれど、その平凡さに、すべての狂気や暴力というものは集約されてしまう凄み、というものが、ほんとうに鮮やかに描かれている。

羊として生きることが、どれほどまでに自分を痛めつけているのか?その痛みを感じないようにする、それこそ不快感情消去マシーンはいくらでも存在するが、彼女は、それのお世話になることも、自分がマシーンを動かしたり、マシーンをつくって売る側になることをはっきりと拒み、わたしはわたしで行きますから、と最後には毅然と立ち振る舞う!

圧巻である。

というわけで、新潮2月号(1月7日発売)、まだ本屋さんにあると思うので、ぜひ。

Photo by Pang Yuhao on Unsplash

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