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開かれた知性に憧れて(2)


開かれた知性とは、平易な言葉でいうならば、連想ゲームな世界観です。

あるキーワードがあったときに、あれもこれもそういえば!と、関連するエピソードやイメージが広がり、どんどん多様になっていく。それらは一見羅列のようにみえたとしても、ひとつの物語としての一貫性があり、その視点でみれば、大きなまとまりになっていく、それが類化性能的な世界です。

世の中は、これとまったく反対の、切り分けて分離して、その中のどれかを権威付けする「分化性能」方式が取られており、折口氏はその貧弱な世界観を批判されていたように記憶しています。

この分けて捉える方式の知性は、分けることで閉じて限定的にし、それに経済的な価値づけが連動するわけなので、経済社会においてはとても便利な知性なのです。

だが、これ一辺倒になってしまうと、化学肥料をつっこみ、同じ作物ばかりを作り続けた畑のように、土地が瘦せてしまう。

こうすれば社会で有用である、他人に通用する、というところからしか、物事を発想できない人がほとんどの世の中。

「そんなのなにも得にならない。暇で金持ちな人のマインドゲームじゃない?」と言われてしまいそうだ。

けれど、わたしは開かれた知性を選ぶ側でい続けたいし、そちらを選ぼうと踏ん張っている人を応援したいと思っている。

なぜか?

それだけが、生きている意味や、生きている楽しさ、実感をもたらしてくれるからだ。

(Image by Jonathan Sautter from Pixabay)

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