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1990年代のバスケットボール①

今から30年前

日本にプロ・バスケットボールクラブが存在しなかった時代。

日本国内最高峰のバスケットボールリーグは、企業のクラブチームとして活動をする、バスケットボール日本リーグ(1部)でした。

当時は、現在とルールも大分異なる点があります。

試合は前半20分、後半20分の前後半制。

オフェンス30秒バイオレーション。

フロントコートへボールを運ぶバイオレーションは10秒。

外国籍選手はベンチ登録2名、オンザコート1(1995-96シーズンよりオンザコート2)

背番号は4番からの連番など…

1988年より2000年まで1部リーグは、全12チームが参加していました。

公式戦の試合形式ですが、1988年から1999年迄はタイガーディビジョン、クーガーディビジョンの2ディビジョン制に分けて、リーグ戦を開催していました。(1992年除く)

当時は「タイガーディビジョン」「クーガーディビジョン」という名称が、格好いいと思いながら観戦していました。

ディビジョン分けは、前年の成績などを参考に振り分けられるのですが、振り分け方はオフィシャルに公開されておらず、昨年「タイガーディビジョン」だったチームが、今年は「クーガーディビジョン」に振り分けられるという事も当然にあり、ディビジョン名に紐づいて興行が盛り上がるといった取り組みはなかったように思います。

1999年の参加チームとディビジョン分けです。

⭐️クーガーディビジョン⭐️

いすゞ自動車ギガキャッツ

三菱電機ドルフィンズ

アイシン 精機シーホース

デンソーフープギャング

愛知機械レッドウルブルズ

日立本社ライジングサン

⭐️タイガーディビジョン⭐️

東芝レッドサンダース

大和証券グループ本社ホットブリザーズ

松下電器パナソニックスーパーカンガルーズ

ゼクセルブルーウィンズ

トヨタ自動車アルバルク

日立大阪ヘリオス

※日立が二チームありますが、当時は日立社内で二チームが1部で活動をしており、その後統合されて日立サンロッカーズが誕生し、現在のサンロッカーズ渋谷への歴史をたどるのですが、統合の時はwebサイトで見かける「統合」という単純なものではなく、バスケ界では結構な騒動でした(詳しくは後日、書ける機会があれば…)。

次に当時の公式戦ですが、同じディビジョン内の5チームと各2試合の対戦で10試合。

他ディビジョンの、6チームと各1試合の対戦で6試合。

合計でレギュラーシーズンは年間16試合でした。

そして各ディビジョン上位4チーム、計8チームがプレーオフに進出します。

プレーオフは3戦2戦先勝方式のトーナメント戦で開催されていました。

プレーオフ・ファーストラウンド(いわゆる準々決勝)が一試合のみで開催された年もあり、リーグ戦で一位であったチームがプレーオフ初戦に敗戦、0勝1敗でプレーオフを退くという波乱が起きたシーズンもありました。

現在と比較して年間の公式戦はとても少なく、国内のバスケットボールが、確実にテレビ放映されるのは天皇杯の決勝戦位でした。

日本リーグの公式戦はテレビ放映が殆どなく、NHK-BS、テレビ神奈川など一部地域での放映、スカイAなどでも放映されていましたが、NHK-BSでもファイナルの放映は一試合という年もありましたので、優勝がかかった試合も、なかなか観る事ができませんでした。

現在は公式戦も年間60試合、試合の映像配信も豊富でバスケット観戦については、本当に恵まれた時代になりました。

当時はインターネットがようやく普及し始めた時代であり、画像表示されるまで何秒も待つ、ダイヤルアップ接続の時代、SNSも普及していませんでしたので、月刊バスケットボールと新聞位しか、情報の入手方法がありません。

現在の情報量や情報の入手速度とは雲底の差です。

本題に戻りますが、1990年代のバスケットボールにも、大変魅力的なチームや選手が存在していました。

ミスターバスケットボールと呼ばれた佐古選手、ユニバーシアードのアメリカ戦で大活躍した長谷川(誠)選手、世界選手権で活躍した折茂選手…

高校バスケット界でも、田臥選手が大活躍した時代でもあり、1998年のウインターカップのテレビ放映では、優香さんの「今時の高校生って凄いんだよ(覚えている方いらっしゃますでしょうか。)」というフレーズで番組がスタートし盛り上がりました。

この時代も本当に凄い高校生選手が多く、能代工業の田臥選手、福島工業の渡邉拓馬選手、仙台高校の志村選手、小林高校の北郷選手、市立船橋の鵜澤選手など(書ききれない程)、後の日本バスケ界を支える選手が大勢プレーしていました。

大学バスケでは日本体育大学が、インカレ四連覇を達成した時代でもあります。

四連覇ですよ!四連覇!

この時の日本体育大学は現在、千葉ジェッツHCの大野 篤史さんが在籍していましたが、本当に強かったです。

高校バスケ、大学バスケについてはまた特集を組み書きたいと思います。

次回も当時の日本リーグについて触れられればと思います。

続きます…

※本記事ですが筆者の記憶や、現在手元にある動画資料などを元に作成していますので、内容に誤りが発生する可能性があります。ご容赦の程、お願い申し上げます。


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