【日記】はじめての

こんばんは。少しだけ重たい話をします(牽制)。

今日、久しぶりに祖母の様子を窺いに、親父と共に病院まで行きました。
祖母は御年80近く。現在はこちらの呼びかけにあまり反応しない状態が続いていました。

二、三か月前に訪れた時からたまにそんな調子だったので、うっすらとそんな気はしています。
自分は、生まれてこの方、誰かの死に目にあったことがないです。

唯一これといった経験と言えば、小学生の頃に飼っていたペットの猫が、家に帰っていると動かなくなっていました。老衰でヨボヨボのお爺ちゃんだったので覚悟はしていたのですが、別れの瞬間に立ち会えなかったことを今でも後悔しています。

でも、今回の場合。祖母が老いて弱っていく様はなんだか現実感がなく、目の前に老年の女性がそれまでのおばあちゃんじゃないような気がしました。
これが人の死を見たことが無かった弊害なのかもしれません。
でも、自分はその弊害そのものを恐ろしいとは思わず、この非現実的な感覚が徐々に現実味を帯びていく「これから」の方がとても恐ろしいです。

人間生きていたら必ず誰かが周りで死んでしまうでしょうし、それは避けられないことだとは分かっているが、どう感情を処理していいか分からない。
街を歩いていると、すれ違う人の誰もが平気そうな顔で歩いているが、みんな人生のどこかで「身近な人間の死」に折り目をつけて生活しているのだと思うと、凄いな、となる。
今日は、本当は部屋でぐーたらしてポケモンカードでも遊んで、最近興が乗っているTRPGシナリオ制作も進めて、とにかくインドアに徹しようと思っていました。ですが母親から「おばあちゃんの様子見に行ってあげて」と言われたので、道中の車酔いを憂鬱に思いながらも了承し、半ば渋々といった形で行ったわけです。
結果的に、行って良かったと思いました。帰りの車の中、父親が「もう何回会えるか分からんからな」と言っていましたが、内心『分かっとるよ』と鬱陶しく思いつつも、病院へ行く前までは、心の底では分かり切っていなかったような気がします。それだけ、僕の心の中と現実は乖離していた。

面会中、祖母に優しく声をかけている父を見て、その乖離は埋まった気がします。いつか、父の立場に自分がなって、祖母の立場に母や父がなるのだと思いました。そうやって順番が回ってくるのだから、早いうちに覚悟しないと。



悲しい話を長々と失礼しました。
でもたまには、こういう話もね。
まだ感情の整理がついていないのですが、いつかはつくと思います。皆もそうやって生きて来たんだろうな、とやや楽観的に構えることにして、このnoteはここでお終い。次回はゲームの話をしたい。

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