書籍「神との対話」より小考
わたしたちはすでに真善美を知っている
人生はテストである、人生は試練であり、自分が価値ある存在かどうかを知ろうと試みる時間だと考えるなら、今までの宗教観と筋が通る。
日本人の宗教観、というのも西洋のそれとは異なるので、違和感を感じるかもしれないが、八百万の神と大いなる自然、と捉えておく。
一方で、神との対話の中では、私たちは、自分たちがしてきたこと、これからすること全てに価値があると認めるプロセスだと主張している。
わたしたちの人生の目的
また、人生の目的は、神を喜ばせることではなく、自分が何者であるかを知ること、再創造すること、と書かれている。
日本人の宗教観
日本人の場合には、「ご先祖様が見ている」「ご先祖様に顔向けできない」など、宗教的なものが、家族の血脈に還元されることがある。
見えないものへの敬意が、神や聖書なるものに一括的に存在するのではなく、大地や空、多くの神々、伝承などにちりばめられている。
その意味でも、神との対話の中にある、自分を知ることこそ人生の目的である、という主張に近い宗教観を持っている
どのようにしたら、自分が何者であるか知ることができるのか?
すべての出来事や経験は、単なる出来事と経験に過ぎない。問題は、それに意味を与える時だ。私たちがどう考え、行動するか。
出来事、経験は、機会だ。意識を通じて、個人的集団的に創り出される。
あるべき自分、より高い意識を持った存在となるために、そのような経験により機会を与えられる。
これは機会だから、高い意識を目指さなければ、ただ、また同じ機会が何度も人生の中で訪れるだけだ。同じ問題を抱える人は、機会に対して無視するか、適切な行動を起こしていないことになる。
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