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一切は過ぎてゆきます

アルミ製の、金色をした大きな鍋に、祖母は右手の出刃包丁で不均等に切ったりんごを次々と放り込んでいく。

私が生まれた時から家にあったその鍋は、2歳くらいの子どもならばすっぽりと収まってしまうように見えた。放り込まれたりんごが鍋の側面にぶつかる音が、ストーブで暖められた部屋にカン、カンと響いて、ときどき小さな置時計の振り子の動きと重なった。

「青森に行ったときに会ったおじさん、いたでしょ」

「ミツオさん」

「そう。目、見えなくなっちゃったったって。可哀想にね。」

つい2か月前に会いに行った時点で、おじさんはほとんど目が見えていなかった。緑内障を治療せずに放置していたらしい。おじさんの、孫らしき男の子の写真が飾られた古い家、新聞紙が床に敷き詰められた寒々しい洗面所、そして、百均で買ったというデタラメな度が入った老眼鏡が床に転がっていた光景を思い出す。

おじさんは一人暮らしだ。目が見えなくなってもあの家で暮らすのだろうか。不憫には思ったが、私はおじさんとは2度しかあったことがない。だから、そう聞いた私が抱いた感傷は、テレビで悲しいニュースを見聞きした程度に過ぎなかった。可哀想に。

おじさんと同い年で、同じく緑内障の祖母だが、毎日欠かさず処方された目薬を点けているおかげか、まだ生活に支障はないようだ。それよりも問題なのは、耳に合わない補聴器のせいで以前よりも億劫になった会話のほうだった。

祖母が新しいりんごを手に取って皮を剥きはじめる。こうして、ジャムにするためのりんごを延々と剝いているらしい。私は今起きてきてきたばかりなので、祖母が何時からこの作業を続けているのかは知らない。鍋の底には、すでに相当な量のりんごが溜まっていた。

「ご飯は、食べるの」

「食べない」

「食べないでどうすんの」

「気持ち悪いからいらない」

「飲みすぎか?」

「ちがう」

祖母に聞こえるように、無理やり出した大声で手短に伝える。1週間ほど前から胃の調子が悪い。今朝起きてみるとだいぶ良くなってはいたけれど、食べたらまた気分が悪くなりそうで怖かった。何か変なものでも食べたか。心当たりはない。

「まったく。りんごでも食べてな。」

祖母は持っていたひとかけらのりんごを、鍋に入れる代わりに私に差し出した。

「あんたも大人だからね、どこ行っても泊ってもいいけど、気をつけなさいよ。ちゃんと、責任持ちなさいよ。ユウなんて今大変なんだから。赤ちゃんできちゃって、お金なくて。あんたも、なにもないってことはないんだろうけど。」

またできちゃった婚した従弟の話か。祖母は私が夜遅くに帰ってきたり、どこかに泊って翌日に帰ってきたりすると、決まってこれを言う。なぜ今そんな話をするのか。もしや、つわりだと思われているのか。まさか。私は一瞬頭のなかでカレンダーを逆算した。

いいや、ないね。時系列的にありえないと自分を納得させ、不機嫌な顔を作り直す。心配しているのは理解できるが、私はあと数年で30歳になる。恋愛していても不自然ではない歳であるのに、ことあるごとにこうして、起きてもいないことを暗い顔で説教されるとうんざりしてしまう。

そういえば高校生の頃にはじめて彼氏と泊って帰ってきたときは、顔を見るなり泣かれたっけ。あのときは、祖母が泣いているのをはじめて見て、そんなに悪いことをしてしまったのかと少なからず反省した。だとしても、いい大人になった今ではわけが違う。いつも「思うところあり」といった顔で送り出されるせいで、祖母に恋愛をしていると察知されることには、私のなかではいまだ罪悪感が付きまとっているのだった。

「ユウが悪いんじゃん。勝手にできたみたいに言っちゃって。馬鹿みたい。」

低い声で捨てるように言って、イライラしながら次々に目の前に置かれるりんごを食べ続ける。本当は「どうせ避妊もしてなかったんでしょ」とも言いたかったのだが、直接的な言葉は祖母にはショッキングだと思って口を閉じた。

前に、祖母は電話口でセックスのことを「夫婦生活」と表現していた。私にも「間違いがある」とか、そういう表現を使う。生きてきた時代的に、はっきりと言うのは憚られるのだろう。でも、セックスのことを間違いと表現するのはどうかと思う。べつに間違ってないですけど、と言いたくなってしまう。

りんごを食べ飽きたので、もういらないと言うと、祖母はまた、りんごの行く先を鍋に戻した。時刻は14時。起床後の挨拶は終わったので、私は自室に戻りたくなっていたが、食べるだけ食べてさっさといなくなるのも薄情な気がするので、しばらく座っていることにした。まだ説教したいことがあるなら今のうちにまとめて言っておいてほしい、という気持ちもあったが、祖母がなにも喋らなくなったので、とくに気になっていないことを聞いてみることにした。

「大みそかは、ユウたち来るの」

「わからん」

「ふうん。だれが来るの」

「わからん」

せっかく話題を提供したのに、会話は全く広がらなかった。なんだよ。

10年ほど前までは、我が家の大みそかは大層にぎやかなものだった。祖父母と私と母と、弟、母の妹夫婦、姉夫婦、兄夫婦、その子供たち、そして祖母の弟夫婦。狭い一軒家に酔っぱらったおじさんおばさんと、テレビゲームでギャーギャーとケンカする従兄弟たちがひしめき合って、まるで檻のない動物園のような様子だった。毎年酔っぱらったおばさんが散々子供たちにしつこく絡み散らし、ゆく年くる年が放送される頃にはおじさんと殴り合いの喧嘩をはじめ、最終的には土下座をしあって終息する、という流れで我が家の年越しを盛り上げてくれていた。

しかし、おじさんふたりが次々とガンで死んでしまったからか、子供たちが大人になって集まりが悪くなったからなのか、伊藤家の大みそかの夜は徐々に静かになっていった。プロレスごっこをしようにも、軽々と持ち上げていた子どもたちはみんな大きくなってしまって、ヒロ兄ちゃんは寂しそうに座って焼酎を飲むしかなくなってしまったようだ。ヒロ兄ちゃんもずいぶん瘦せてしまった。ほとんど骨と皮だけの身体を見ていると、ヒロ兄ちゃんも、おじさんたちのようにいなくなってしまうのではないかと不安になる。

私と疎遠になる前は、父もときどき、この集まりに顔を出していた。職場のスーパーから持ってきた、パーティー用の大きなお寿司のパックとローストチキンを抱えてやってきて、酔っ払いたちに促されておそるおそる家に上がり、長い脚で胡坐を組んで座っていた。パパはできるだけにこやかに親戚たちと接していたと思うが、たいてい1時間と持たずに退散していた。

ムスリムにとっては、酒臭い人間にしつこく絡まれ続けるのは耐え難いのかもしれない。数年にいちどは、やはりあまりにしつこく絡んだおばさんを殴り倒していた。私も癪に障ることを言われておばさんを張り倒したことがあるので、父を責めることはできない。おばさんは、一族のほぼ全員に殴られた経験がある。間違いなく一族の問題児である。今年は、殴られる前から自ら派手に転んで顔に大けがしたらしい。物分かりが良い。

家族は時とともに少しずつ変わっていく。誰と誰が死んで、誰と誰がケンカしたとか、誰が結婚したとか、子供を産んだとか、年末年始にはそういうことが答え合わせ的に家の様子として現れる。  

少しずつ静かになっていくこの家の中で、いまだに私だけが、祖父母と一緒になにも変わらないまま、置物のようにとどまっているような気がする。留まり続けて最後のひとりになるのも怖いと思う反面、私ですらどこかに行ってしまったら、祖母はたちまち空気を抜かれたように弱ってしまうかもしれないとも思う。それも怖い。

私はまだ成長していないし、成長しないようにしているところもあるのだと思う。りんごだって本当は自分で剥けるし、誰かと年越しを過ごすことだってできるのだ。呪いなのだろうか。私が祖母を「いつまでも生きていてほしい」と呪っているのかもしれない。いつまでも生きて、いつまでも私を育てていてほしい。

夜、台所に行ってみると、アルミ鍋は昼に感じたほど大きくもなかった。大きくあってほしいと、勝手に思っていただけかもしれない。

りんごをひとつ咥えたまま席を立つ。

明日、またひとつ年が過ぎる。




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