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作った指輪のこと

なんか面白くならんかと最近noteを書き始めたが、なんだか高校生ぐらいに流行りに乗ってブログを書いてた時のことを思い出して懐かしい気持ちになった。
思い出すと恥ずかしい気持ちになるのはなんでだろうか。丸坊主だったからだろうか。すごく恥ずかしい。

好きなアーティストがいたり作家がいたりする。みんな誰かしら好きな歌手がいたり、ブランドがあったり、著者がいたりする。んで好きな作品があったりする。曲だったり映画だったり本だったり。

思い返すと自分は感情や欲求、衝動がそのまま具現化されたような作品が好きなんだと思う。誰かのためでも何かのためでもないもの。純度の高いもの。計算の見えないもの。そうじゃないとダメというわけでもなく。だけど衝動的な力を感じるものを見ると力が湧いてくる。

自分の中で「喰らう」という表現をするもの。人。事象。

二十歳ぐらいの時に、どうにも抑えきれなくなったのか指輪を作り始めた。
その頃、いつもよく分からない指輪を左手の中指と人差し指、あと右手の薬指につけてて、それが好きだった。
昔の古いボタンを使って作ってみた。
古道具屋なんかに行くと古いボタンがバラ売りされてたりする。数が揃ってればリメイクかなんかで使われるんだろうけど、単体だとなかなか売れないのだろう。
だけどセンスいいなあと思う単体のボタンもたくさんあって、それを違うものに変えたいなと思った。昇華と言えばおこがましいかもしれないけれど。

古いボタンの裏には必ず糸を通すための突起がある。それを削る。専門的な効率のいい機械を使ってるわけじゃないから、かなり時間をかけて削ることになる。何日もかけて削るものもある。
2時間とか3時間とか続けて削る。
削ってる時に、自分の中でいろんなことを思って、いろんな感情が出てくる。
それを出来る限り入れたいと思いながら削る。
気概でもモヤモヤでも澄んだ感情でもなんでもいい。
何か念のようなものを込める。
それが入ってないものはクソだとでも言うように。
そうやって自分を確認してたんだろうか。
分からないけど。
作ったものがいいかどうかとかない。どの層に届かせたいとかもない。自分がグッときたものだけを気に入ってた。

その頃は毎日FUZZに通ってて、おーちゃんが店に指輪置いてよって言ってくれた。かなり嬉しかった記憶がある。
一つ目が売れてお金が入ってきたけど、そのお金は中々使えなかった。ずっと取っておきたかった。

半空にもその頃行き出した。自分のモヤモヤする何かをぶつけるように岡田さんと話をするのが好きだった。指輪の話になって、「指輪置こうよ!」と言ってくれた。やっぱり嬉しかった。

指輪が売れるたびに、自分で作ったもので生み出したお金と、好きなお店の売り上げの中にちょっとでも入れたっていう事実ができて、嬉しかった。


半空で飲んでたら、絵描きの島岡さんが目の前で一気に6個買ってってびっくりした。やっぱり嬉しくてフワフワしたのを覚えてる。

ちょっと前に、あいみょんが買ってったよーってFUZZのおーちゃんが教えてくれた。知ってる有名人だからびっくりした。インスタを見たらつけてる写真をアップしてて嬉しくなった。

作ったものはほぼ売れた。途中まで数えてたけど分からなくなった。
自分が作ったものを人が買っただけ。
でもそれはすごく嬉しいことだった。

自分のことを知ってる人以外には、自分のことを知らないまま買ってもらいたいなと思ってた。
だから名前もつけないし、普通に置いてある感じが良いなと思ってた。

それで売れたら、買った人は何かに反応してくれてるのかなって感じて、それが良かった。

指輪は今もたまに作ってる。
不定期。FUZZや半空が近くになくなって、出す数は少なくなった。

ただ作りたくなったら作って、確認して、誰かが買ってくれたらいいなって思う。それが自分が好きなものの出来上がり方、届き方なのかな。分からない。



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