言語化の弊害

幼い頃から本が好きで、図書館でたくさん文章を読みながら育った。インターネットをみるようになり、知らない言葉を知る機会が増えた。

その結果、自由に使える言葉が少しだけ多い人間になったと思う。ここまではよかったのだが、感情の言語化がだんだんとできるようになった。少しずつ感情への解像度が上がり、少しずつ感情に名前がつき、それに少しずつ苦しむようにもなった。これは、感情を知ることが楽しくなってやってしまったことでもあるし、名前を知ることで助けられることもあったので、後悔はしていない。

ひとつ後悔しているのは、1パーセントだけ思っていることでも言葉にできるようになってしまったことだ。それによって、気がつかなくていい感情や考えにも気がついてしまう時がある。さらに、1パーセントしか思っていないことなのに、言語化に成功することで、100パーセント思っていると錯覚することがある。意味伝わるでしょうか。伝わってほしい。

これは本当に気をつけたいことだ。ほぼ思っていないことが思っていることになるのは全然望んでいない。自分の中でじっくり吟味して思ったことなら言葉にしたいが、1パーセントしか思っていないことなんて言葉にしたくない。

もっと本を読んで、もっといろんな人と対話して、本当の自分の考えを身につけたいと思う。(本当の自分の考えってなんだとも思うけれど。)

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