ディズニー×クイーン考察2(ディズニー→クイーンへの影響)
ディズニーとクイーンの関係性。
そもそも、その関係性を疑いだしたのは、15年くらい前に、母が「グレイテスト・ヒッツ:以下グレヒツ」を買ってきたときからだと思います。
はじめに
今回は、クラシック・ディズニー(戦前から1966年まで)が、クイーンの
サウンドや詩など、主にフレディに与えた影響を考察します。
主に、
1.クイーン・サウンド
2.詩
3.第三者のファンの意見から気づいたこと
4.他のアニメからの影響
5.クイーンの音楽以外のこと
から疑っていきます。
1.サウンドへの影響
1.グレイテスト・ヒッツ
・「キラー・クイーン」(1974)
このギターソロが、私には「ピーター・パン(1953)」の挿入歌「ワニ🐊に話しかけるな♪」に聞こえてしょうがなかったのです。
原題は「Never Smile At A Crocodile(ワニをひやかすな)」。
フック船長がスミーに甲板でひげをそってもらうとき、時計を飲んだワニ(Tick-Tock the Croc)が船の下に登場するシーンです。
※この話については詳しく後述します。
次に、
・「懐かしのラバー・ボーイ」(1976)
ディズニーではないものの、この子守歌みたいなコーラスは、「ロッカ・バイ・ベイビー(Rock a bye, Baby:ねむれあかちゃん)」、英マザー・グースの歌に似ています。この子守歌は有名なので聞けばわかると思います。ハッシャバイ・ベイビーとも。
コーラス自体は、アリスや眠れる森などディズニーの長編アニメや短編の始まりの美しいコーラスのようです。
2.「華麗なるレース」(1976)
クイーンの最高傑作といわれるアルバム「オペラ座の夜」。
その双子の次作「華麗なるレース」。
映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見てから、クイーンの全曲を聴きました。
最後のロマン派アルバム「華麗なるレース」には、フレディ名義の前述の「ラバー・ボーイ」のほかに、「ミリオネラ・ワルツ」、「テイク・マイ・ブレス・アウェイ」があります。
・「ミリオネラ・ワルツ」
詩もサウンドも、ロマンチックなワルツです。
この曲のギターソロが、ディズニー版「くまのプーさん」の「僕は小さなく~も♪」(原題:小さな雨雲)という、水色の風船をもって浮かびミツバチの穴にはちみつを盗りに行くときのメロディに聞こえる。
ここも3拍子。ピアノはズンチャッチャ、ズンチャッチャですね。
「小さな雨雲」はディズニーの60年代に活躍したシャーマン兄弟の曲。
プーさん自体は、1966年のアニメ公開時、イギリスではミルンの原作を無視している部分があると批判されたことも。
アリスの時(1951)は忠実にイギリス英語の女の子を声優に起用したのに、プーの主人の男の子クリストファー・ロビン(ミルンの息子がモデル)が最初アメリカ英語で、変えさせられたと言います(Wikiより)。1966年にウォルトが亡くなった影響もあったかもしれません。
でもフレディは映画公開時20歳。アート・スクールの授業とかで見たのでしょうか?1970年代にビデオが発達したので、ビデオで見た?どこかでちらっと聞いただけかもしれません。
因みにプーさんは、ミッキーよりも人気があり、目の付け所は間違いなしです。その愛らしさを見抜いたのかもしれません。
・「テイク・マイ・ブレス・アウェイ」
アルバム「華麗なるレース」の2曲目。You Take My Breath Away。
同じく、かなりロマンチック(詩はむしろ一歩間違えば少々ストーカー)なこの曲のコーラスを聴いたとき、「眠れる森」のコーラスのようなクラシック・ディズニー的なサウンドが大変気に入りました。
この2つはこのように、ディズニーのようなコーラスが似ていますが、同じアルバムだったんですね。
サウンドの影響をまとめると、この4曲が疑わしい。
次は詩です。
2.詩での引用
去年、映画「ボヘミアン・ラプソディ」(2018)をみてから
クイーンの詩を意識するようになると、特にフレディのナンセンスな詩の中に、ディズニー関連の言葉がときどき現れるのに気づきました。
1.アルバム「Jazz(1978)」から、2つ。
・「バイシクル・レース」に「ピーター・パンになりたくない」(イギリスの文学の方かもしれませんが)というせりふがあります。
ワニの時と同じく、ピーターパンです。
・「レット・ミー・エンターテイン・ユー」の「我々はあなたを引っ張り、薬し、クルエラ・ド・ヴィル(de vil:デビル)する」。
「101匹わんちゃん(1961)」は、ロンドンのジャズ作曲家ロジャーと妻アニータの飼い犬の子犬たち(ダルメシアン)が、クルエラに毛皮にさせられそうな話。クルエラは毛皮が大好きで、語尾に「ダーリン」をつけるので、フレディはこのビラン(悪役)にすでに目をつけていたのかもしれません。
クルエラは「残酷な」というcruelから来ています。「残酷な悪魔」。
2.
「マーチ・オブ・ザ・ブラック・クイーン」では、原作のアリスとともに、ディズニー版アリスや、意味不明な掛け声「fie-fo(ファイ・フォー)」で「ミッキーの豆の木」、「白雪姫(ハイ・ホー)」の影響もあるかなと思いました。
ディズニー短編の古い作品も、鏡の国のミッキーや豆の木、アリスやシンデレラなど、長編の練習なのか、同じ主題でいくつも作品があります。
まとめると、言葉の引用では、はっきりしたのはクルエラくらいでした。
天下のクイーン(特に1977年ころ)が、お子様向けのものをはっきりと出すわけには、当時のファンの心情をもってしてもいけません。
しかし、1977年に、はるか昔の1961年(フレディ15歳)公開の映画から、このロンドンのおしゃれなビランを出してくるあたりがセンスを感じます(当時ディズニーはウォルトが亡くなり、暗黒期でした)。
3.トド奈津子さんnote
トド奈津子さんの「ボヘミアン・ラプソディ和訳」を参考にしましたが、「クイーンとディズニー好き」と書いてあり、初めて、この2つが関係性があることが言語的にも視覚的にも意識されました。
私もこの2つが好きなのです。
4.ディズニー以外のアニメ
ディズニーでないものの、非常に似ているものとして、
「トムとジェリー」の関連もあります。
「ボヘミアン・ラプソディ」の和訳・分析の時にも指摘しましたが、猫のトムの「キャット・コンツェルト(Cat Concerto、1946年)」、あとはワーナー・ブラザーズだったか、バックス・バニー「ラビット・ラプソディ(Rabbit Rhapsody、1946年?)」で、各々がピアノでフランツ・リストの「ハンガリアン・ラプソディ」を弾きます。
超絶技巧のピアノ演奏をアニメ化した技術の高さに、前者はアカデミー賞を受賞します。
フランク・シナトラ主演の1945年のミュージカル映画「錨をあげて」では、ジーン・ケリーがハンガリアン・ラプソディーを弾く20台のピアノやアニメのトムとジェリーとダンスで実写共演します。
また、映画「ボヘミアン・ラプソディ」でもありましたが、フレディの飼いネコに「トム」と「ジェリー」がいました。
5.他
あとは、フレディが1979年のバレエ公演でリハーサルやミキシング風景にミッキーのTシャツを着ていたり、
1990年前後ぐらいにディズニーのパジャマを着たフレディも写真が残っています(バーバラさんからのプレゼント)。
あと、1977年のYouTubeクイーン公式のリリックビデオは、どこかのランドに行ったのか、ジョンがグーフィーに抱かれています。
まあ、これはただの一般人でもそうです。嫌いではないことは分かります。
他に、前記事の画像でつけましたが、
1986年リリースの前々アルバム「カインド・オブ・マジック」では、歌詞カードにキャラクター化した水色のメンバーと、ランプから出る水色のジーニー(アラジンの)みたいなものがうつっています。リチャード・チアソンという方のデザインで、実際、ディズニーのアニメーターです。アラジンと同じく、ジョン・マスカー監督時の「ヘラクレス」の敵「ハデス」や「ノートルダムの鐘」の館主のデザインをしていることは分かりました。音楽も同じくアラン・メンケン作曲。
1991年リリースのアルバム「イニュエンド」は、アメリカ、ディズニー傘下のハリウッド・レコードと契約を結び、そのアニメ技術で、病気のフレディを隠すため、メンバーはMVでアニメ化しました。
私が気になったのは、だいたい以上です。
まとめ
他にもあるかもしれません。
とにかく、ディズニーは初期は昔話を基本としていたので、アメリカ英語よりイギリス英語である場合もあり、音楽も秀逸なので、特にフレディは、子供時代に影響を与え、イギリス亡命後も、しゃべり言葉(イギリスまなり、階級での言葉の違い)と音楽などのサウンド面、ビジュアル面などで注目していたと考えました。
言語習得者にとって、アニメは大変優秀なツールであり、音の面で影響を受けていたのではないかと思いました。
視覚的な面でも、紅茶の文化などシンプル化された文化を一目瞭然に見られるので外国人にとってとても効率的です。
以上は、ディズニーがクイーンのサウンドやビジュアルに与えた影響の考察であって、次はクイーンがディズニーに与えた影響について考えたい。
それでは、最後に、「後述する」としていたピーターパンの挿入歌「ワニをひやかすな」について述べます。
調べると心動かされる事実がそこに。
おまけ:ある作曲家の人生
「キラー・クイーン」のギターソロが、「ピーターパン」の挿入歌「ワニ🐊に話しかけるな♪」に聞こえてしょうがなかった、という話をしました。
原題は「Never Smile At A Crocodile(ワニをひやかすな)」。
フック船長の天敵のワニが登場するシーンです。
時計を飲んだワニ(Tick-Tock the Croc):ティックトック、クロック。
チクタク・ワニという意味で、
Clock(時計:クロック)と、
Crocodile(クロッコダイル)
をかけています。
調べるうちに妙なことに気づきます。
ピーターパンの公開は1953年、この映画がヒットし、挿入歌の「わにをひやかすな」も子供のレコードのトップ10入りしました。作曲者クレジットはフランク・チャーチルとされましたが、実はこの人物は1942年に41歳の若さで亡くなっています。
これはどういうことでしょうか。
彼について調べました。
この人物、フランク・チャーチル(1901~1942年)は、
1937年のディズニー長編アニメ処女作にして、空前絶後の大ヒットした「白雪姫」の、ほとんどの音楽を作曲しました。
「いつか王子様が」が一番有名で、色んな所で耳にします。
その後、「ピーターパン」を作る計画がありましたが、1949年まで棚上げになりました。
その間は、'40年のピノキオやファンタジア、その後のダンボやバンビを先に公開し、
戦中、戦後の混乱を経て、1950年のウォルトの夢だった「シンデレラ」を公開。その後にピーターパンは、製作が再開され、’53年に公開されました。
「わにをひやかすな」は1939年の時点で作曲されましたが、チャーチルが’42年に自殺してしまったので、長い間そのままでした。
そして、1953年、ピーターパンの公開時、この曲に詩がつけられたものが、子供のヒット・シングルでトップ10入りします。
因みに詞の方は1939年時点でついていたかもしれませんが、作詞家はジャック・ローレンスというNY生まれでユダヤ系でした。
ピーター・パンの映画では、サウンドしか流れませんでした。サントラにもこの曲は入りませんでしたが、歌をつけて1953年に発売されたレコードがヒットして、
チャーチルが浮かばれた瞬間です。
自殺の原因は、戦前の混乱もあると思うし、うつなど諸説ありますが、ディズニー側も彼のことを気にかけたのかもしれません(ディズニーが原因というも記述もあります)。
つまり、ここに、一人の作曲家の人生があったことがわかりました。
素晴らしい音楽は、ひきつがれるものだという証明のようです。
子供向けだとしても、素晴らしいものはいつまでも記憶され、それに人生をかけた人たちがいた、そして今もいる、ということです。
それを踏み台に新たな天才が生まれてくるのだと思います。
レオナルド・ダ・ヴィンチも1日にしてならず。
もともと天才だったのかもしれませんが、それだけではダメで、いろんな人に影響を受けて出来上がったのです。
大谷翔平さんやモーツァルトなど、子供時代の敵わないようなヒーローや、過去の人の作った古典作品、ライバルたちがいてこそ磨かれて、偉業を成し遂げるのかと思います。
「ディズニー」自体も、ウォルトたちが亡くなっても、超絶なアニメスタッフが去っても、すばらしい作曲家・作詞家がいなくなっても、素晴らしいものは誰かが引き継いでいく。
そして未来にも残っていく。
調べるとウォルト自体の人間性がかならずしもすばらしい人だったか断言できませんし、旧ディズニーも戦争関連で協力していた時もありました。今のディズニーという企業も特許料ばかりとる心の狭い金取り会社と思われるところもあります。
しかし、作品や音楽のすばらしさの前では、これを絶やしたくない、絶やしてはいけない、情感をはぐくむので未来の子供達にも見せてあげたい、と思わされます。
そしてそれに関わる人それぞれにも感動するようなドラマがあります。
ディズニーを調べるうちにそんなことを考えました。
では、次回はクイーンがディズニーに与える影響について考察します。
お楽しみに。
ありがとうございました。
追記、次回はこちら
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