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聲 ~コエ・言葉の力

こんにちは。
ご訪問ありがとうございます。

今年は参議院議員の改選の年。
7月10日に投開票が行われる運びです。

期日前投票にまだいらしていない方は
とっても簡単ですのでぜひ天候など見つつ、
ご都合の良い日に行かれてはいかがでしょうか。

迷いに迷いに迷った末、思うところあって
選挙にまつわる私の拙いお話をひとつ
今日はさせていただこうかなと思います。

選挙権のある方がお一人でも多く
投票所へ足を運んでくださる、
そんなきっかけになればと思います。

5月に投稿した記事を最後に
6月に入ってから何度も書いては消し、
消してはまた書いてを繰り返すうち
気づけば7月になってしまいました。

それほどまでに私にとっては
記事にするにちょいとばかり
勇気が必要だったお話です。

お時間よろしければ
どうかお付き合いくださいませ。


|自分を癒す


5月の初め。

カウンセリング能力の向上のため
スーパービジョンに近いかたちで
フラワーエッセンスの先生から
カウンセリングを受けました。

選んだテーマは【声を上げる】。


このままでも別にいいかなとも思ったのですが
人前に立って声を上げられないというのは
将来的にちょっと難ありかな、と。

また、それとは別に思うところもあって
自らの癒しを進めることにしました。



過去に幾たびか、私は自分の声を、
言葉を、”失う”という経験をしています。


そんなに大げさなことでもないのですが
声が出せなくなる状態です。


声にならない、声を上げられない。

歌えない。

意見を言えない。

本当の気持ちをどうしても外に表せない。


脳内では言葉や文章が次から次へと
滔々とうとうとあふれていても、
実際の「声」がどうしても出てこない。

ただコトバを頭の中で追うばかり。

そのまま固まってしまいます。

こうなると周囲を困惑させるばかりで、
いつも後味の悪い罪悪感が残るのみ。


現実の世界だけでなく夢の中でも。


声にならない声で助けを求めて叫ぶのに、
喉が締まって声が出ない、恐怖に震える、
そんな状況をかつて繰り返し体験しました。

そうしたときの気分を表現するとしたら
強い恐怖や不安、そして「真っ白」。

具体的な対象があるわけではなく、
漠然とした恐怖、不安。

漠然としているからこその
より強烈な恐怖かもしれません。


ここ数年はずっと軽くなりましたが
長年、喉につっかえたものも抱えています。

病院にかかると昔は”ヒステリー球”とか
呼ばれていたようなもの。

こうなった原因や理由に心当たりはありません。


…いや。

…というか、心あたりが多すぎて
どれが原因なのかがもはやわからない、
と言った方が正しいかもしれません。


そんな私に選ばれてきたフラワーエッセンスは
パニックといえるほどの強い恐怖を癒すものや
挫折からの深い傷を癒してくれる類のもの。

他にもたくさんの種類が選ばれてきました。

私にとって【声を上げる】ということは、
多くのエッセンスの助けを必要とするほど
深いレベルで癒しが必要な案件のようでした。

今生の過去のトラウマだけでなく、
過去生での経験が関係しているかもしれない、
そんなことを示唆するエッセンスもあったり。
(ナニヤラカシテタンダカ)


|癒しの道程


調製していただいたエッセンスが届いて
飲み始めましたが、非常に不味く感じました。

こんなにおいしくないのは初めてのこと。


潜在意識に封じ込めた?強烈な恐れ。

とっても不味いと感じたのは、
そこには二度と触れるまいと自ら
癒しを拒絶していたのかもしれません。


こうした傷を癒し整えるには、
辛くて閉じ込めてあったことも
一旦は意識の上に上げた方が早いようで。

いわゆる「気づき」とでも言いましょうか。

実際の意識に上って
「アッ」と気づくこともあれば、
夢の中でさほどキツい思いをせずに
スッと流れていくこともあります。

いつもならどんな変化が起こるのか?と
ワクワクしながら飲むフラワーエッセンス。

なのにこのときばかりは飲む気が削がれ、
しばらくちっとも楽しくありませんでした。

しかし不思議なことに、
そのうち次々と

【声を上げる】

必要に迫られることが、
笑ってしまうくらい連続して起きてきます。

なんの試験ですかコレは…?って感じ。

フラワーエッセンスあるある(笑)


古い友人から久しぶりに連絡があって、
何十年も連絡をとっていなかった人に
連絡する必要に迫られたり。

それがもとでクラウドファンディングに
いっちょ噛みしちゃったり。

コンサートチケットの余分が一枚あって
それほど回数お会いしたことのなかった方に
勇気を出して声をかけることにしたり。

20年近くご縁が遠ざかっていた方から
とあるご依頼を頂戴し、
友人らに頑張って声をかけてみたり。

別の方からもある日突然連絡があり、
それが元で20年ほど遠ざかっていた場所に
勇気を出して赴いて、助力を仰いだり。

日常生活でも、ここで声を上げなければ
どうしようもないってな状況に置かれたり。


しかし、しかし。
そのどれも、なんとなく勢いで
エイヤッ!!っと越えてきました。


フラワーエッセンスを飲んでいなければ
おそらくあれこれ考えてもやもやし、
どれもこれも先延ばしにしていたと思います。

延ばした分だけ長時間にわたって
ストレスに感じていたと思います。


で、これらの集大成と言いましょうか…

大中小の中のなかのラスボス的な山を、
エイヤッ!っと
思い切って越えてみようか…というのが
今日の記事、というわけ。


前置きがこれほど長いのは、
まだ私に恐れと抵抗があるからです笑


人様からしたら「え?そんなことで?」と
拍子抜けするようなことかもしれませんが
私にとっては未だちょっと重い話なのですね。

読んでくださる方からしたら、たぶん

「え?引っ掛かってるのドコ?」

って感じだろうなとも思います。


|きっかけ


きっかけは一本の動画でした。

いただいたリンクを開いてみると
そこには参政党さんせいとうという新しい党の
事務局長 神谷 宗幣かみや そうへい氏の遊説が
収められていました。


(久々に、心ある人の、心打つ演説を聴いた…)


それが私の第一印象と感想でした。


伝えられたらいいのになと思っていたけれど
これまで声を上げられなかったことが
丁寧に過不足なく(しかも美しさをもって)
きれいにまとめられていました。


ここにはリンクしませんが、ご興味あれば

「参政党 神谷宗幣 街頭演説」

などのキーワードで検索してご覧ください。


|選挙トラウマ


かつて私の父は、とある地方議会で
長年、議員を務めさせていただいておりました。

4年に一度巡り来る統一地方選挙。
そこは毎度毎度の激戦区でした。

地元の人や関係者、諸々の期待を
その一身に背負っての立候補。

その期待や責任の重さ、圧というのは
半端なものではなかったであろうと
今頃になってようやく私などは父の身上に
思いをいたしています。


いつからか、時代の流れもあって
選挙となると候補者本人の政策云々よりも
好感度やカリスマ性が優先されたことがあり
まるで人気投票の様相を呈していました。
ちょうどタレント候補さんとかが
国政や首長選挙に出始めた頃と重なります。

地方でも、もしかしたら地方だからこそ?
候補者本人だけでなく家族さえもが
注視されるようになりました。

どこに行っても衆人環視の中、
常に品行方正さや正しさ、賢さ・清さなど
理想的な人間像に沿って
完璧に生きることを求められているような。

それは今にして思えば、子供だった、
つまり井の中の蛙だった私の妄想。

完全なる壮大な思い込みや勘違いでした。

ただ、思春期前後のただでさえ難しい時期。

多感な年頃に被っていたことや、
もとより繊細で周囲の意を汲むのに長けていた
井の中の蛙っこがそう考えたとしても
致し方ないことだったとも思います。

大勢の大人に囲まれて育つ中で
周囲の期待を過敏に過剰なまでに読み取り、
自分を失くしてまで万人の期待に応えようと
間違った方向に力一杯 努力する子供。

今であれば”あざとい”、などと
形容されたりするのでしょうか。
(だとしたらちょっとつらいなぁ)

当時、それはただ幼い子供心に純粋に、
大人の役に立ちたい・父を喜ばせたいと、
そんな子供らしい一心であったと思います。


激戦中の激戦だったある年のこと。

選挙区内全戸を対象に家族が候補者に成り代わり
事前の戸別訪問をするという方針が
選対本部から示されました。

当時でさえこのやり方はもう
どちらかといえば古く泥臭いやり方で、
決してスマートではないアピールの仕方でした。

軒先から向こうに入ってはいけないとか
選挙違反にならないための細かい注意が
たくさんありましたが、そもそも当時私は
未成年であったようにも記憶しています。
(オイ)
未成年であったがゆえに早朝からの
駅前でのお手振り立番もなければ、
道ゆく有権者に土下座しての
”最後のお願い”も免除されてきました。

この頃の土下座というのは
今よりもっと重みのあるものでした。
長幼の序というものを
まだ重んじてもいた時代でもありました。

普段の威厳もなく、父をはじめとする家族が
土下座する姿を目にした私は心が幼くて
言葉にできないほどの衝撃を受けました。

後年にわたってこの光景は忘れがたく
長く受け容れられませんでした。

土下座や立番はしなくてよいものの
”おとんぼ”(=乙ん坊、末っ子のこと)として
マスコット的に愛される術を身につけていた私は
各地区それぞれの自治会長さんの手引きで
来る日も来る日も得票のお願いとご挨拶に
のべ数千世帯を歩いて一軒ずつ回りました。

支持してくださる方のお宅ばかりを
訪問するわけではありません。

戸口を開けてくださらないお宅あり、
塩や水を撒かれたり、
候補者、つまり父への侮辱や罵詈雑言、
果てはどさくさに紛れ軽口を叩きながら
体を触ろうとしてくるなどもありました。

どんなに悔しくとも、どんなに理不尽でも
逆らうことは許されません。

なぜなら、”候補者の娘” だったからです。

候補者である父の名代みょうだいとして
全戸ご挨拶に伺っているのであり、
決してその名に傷をつけてはいけないと、
有権者の機嫌を損ねてはならないと、
当時真面目だった私は自分を強く抑えて
大人たちの期待に応えようとしました。


(自分の至らない振る舞い一つで
貴重な一票を失うことがあってはならない)

(誰からも嫌われてはならない)

(万人から心象よく見られなければならない)


失敗が許されないという思い込みから
たくさんの重いかせを我が身にはめ、
張り詰めた日々を過ごしていたと思います。


屈辱的に感じたことも多々ありましたが
一方で、ほとんどの方は実に温かく
この小娘を迎えて励ましてくださいました。

期待してるから、とか
体に気をつけて頑張るよう伝えて、とか
たのみにしてるよ、とか。


候補者本人ではないにも関わらず
涙ながらに駆け寄って、期待を込めて
「頑張ってよ!」と
握手を求めてくださるご高齢の方。

お菓子や飲み物を持たせてくださる人。

心配そうに見てくださる同級生の親御さん。

この土地の将来に熱い思いを馳せる方たち。


これらすべてが、
誰でもは経験できない本当に貴重な機会であり、
いかにありがたいことであったか。

今ならよくわかります。


…が、当時の私は幼な過ぎました。


大人たちからかわいがられていた割には
自己肯定感がなかったことも相まって、
一人ではなにかと気持ちの処理ができず
たくさん心に傷をつけました。

自分で傷の修復もできません。

そのうち人間不信に陥ります。

ずっしりと重い鎧を着込んで仮面を被り、
暗闇の中にいるようなときも過ごしました。


|最後の選挙戦


私の父にとって最後となった選挙戦には
当時勢いを増していた若い政党から
私と変わらない年齢の新人候補が立ちました。

一方の自陣営はといえば
経済的にも体力的にも年齢も世情からも
なにかとシビアな情勢でした。

候補者本人である父も歳を取り、
当然ながら同じく支持者の方も事務局の方も
皆、歳を重ねきています。

ネット上での選挙運動についてはまだ十分に
整備されていない過渡期でしたが、
ネット世代にもっと訴えなければ、
これまでの古いやり方ではもう通用しない。

世論の勢いを見れば
このやり方では到底無理だというのは、
当然といえば当然の成り行きでした。

選挙期間が始まってのち、
どう見ても形勢が芳しくないのを察した私は
ずっとあることを考えていました。


(自分が声を上げれて訴えれば…)

(今ならまだなんとかなるかもしれない…)


本来、政治家というものは、自分の功績を
これみよがしに周囲に言ったりはしません。

裏方に徹し、その名がどこにも残らずとも、
ただ一人 己が知っていればそれで十分。

父親としてはさっぱりだった地方の一政治家が
膨大な時間を費やした陰ながらの尽力を、
血を吐くような日々とその目標とするところを
ごく近くで見てきた私は、この郷土のためにも
最後にもう一期だけ、父に
まとめの仕事をさせていただけるように、
なんとかして尽くさねばと考えていました。


年齢的にも間違いなく最後の選挙戦。

最後のこの機会に、彼がしてきたことを
もっと表に出してもよいのではないか。

劣勢を打ち破り、突破口とするために
当時ここで私が声を上げれば
もしかして、もしかするんじゃ…とか。


応援演説なり選挙遊説なりに必要な口上は
頭の中でどんどん湧いて流れていました。


繰り返し繰り返し頭の中を流れる口上。


それはもし表に出ていれば
おそらく聴衆の心を惹きつけるに必要十分、
かつ感動的な言葉の数々でした。

どこかから降ってきたような感じ。


|上げられなかった声


もやもやしていた選挙期間中のある日。

意を決して、しかし自信なく冗談めかして

「応援演説をしたいと思うのだけど」

と提案したところ、


「できるわけがないだろうし必要もない」


と一笑に付されました。


(うん、そうよな…)

(そう言うんだから、ま、いっか)


ホッとしたような、寂しいような。

これでもう勝ち目はないと思われた瞬間で
なんとも言えない複雑な気持ちでした。


しかし、実はこの反応は当然のこと。


人前で声を上げられない私だからです。


いろいろやらかしてきたので、まぁ…
知られていて当然です。


3歳頃になっても言葉を話さず
いつも大人の後ろに隠れていた子供でした。

昔から極度のあがり症です。

多勢の人前で話す声は震えます。

茹でられたタコのように赤面します。

喉が締まって声を失います。

自分の声が嫌いでした。

マイクを持つのが大の苦手です。

そのうちコントロールを失って
冷や汗をかき、気が遠くなります。

過呼吸を起こすこともありました。


丁重にお断りされるのも当然。

なのに、なぜ声を上げようと考えたのか?

それだけ「よほどのこと」だったからです。


それでも私は声を上げませんでした。


たとえ反対されようと、
やろうと思えばできないこともなかった。


やらない選択をしたのは
他ならぬ自分自身でした。


|一票の向こう側


最後の選挙戦でやはり父は敗退しました。

往時は9割ほどあった投票率も
5割を割り込んだ中での僅差の落選でした。


後になって

「いや〜、投票行こうと思てたんやけど…」

という声をちらほら耳にしました。


その言葉の裏にあるのは

(自分一人が行かずとも他の人が行くだろう)

(まぁ今回もどうにか大丈夫だろう)

という思い。


投じられなかった一票の積み重ねは
思ったよりもずっと大きかったです。


私たちは失ってから気づくことがあります。

地元選出議員がいなくなっても
すぐに影響が出るわけではありませんが
気づいたときにすぐどうこうはできません。

それでもいつも通りに地球は回るし、
人は特段変化もなく淡々と暮らしていきます。

別にどうってことはありません。

ただ、今も私は少しだけ、苦い思いでいます。


あのとき声を上げていれば、と。


父のためでも自分のためでもなく。

そんな狭小なことのためではなく。



つい私たちは自分を過小評価しがちです。

別に自分が行かなくても…とか。

逆に、自分がたとえ一票を投じても…とか。

そうして貴重な一票を行使しなかったことで
うっかり失うものもあります。

ただ、票を投じたくなるような候補者が
なかなかいないことも問題です。

民主主義と言いながら選挙制度自体に
無理が出てきているのも否めません。

落選した候補者に投じた票は
すべて紙屑となってしまいますから
あーぁ…ってな感じでガッカリします。

せっかくこの人に入れたのに〜、とか。

有権者の声を届ける選挙と言いつつ
一方で声が届けられない制度でもあるわけです。


あまり取り上げられないことですが、
常識ある候補者であれば
当選しようがしまいが自らに投じられた票数は
一の位まではっきりと覚えています。

なぜなら、それはただの数字ではないからです。

お一人お一人の思いの丈がこもった一票。

一つに一人、有権者の方の顔。

その後ろに控える選挙権を持たない子供たち。
将来の有権者たち。

それら全ての人の思いや期待を背負って
その期待に応えるべく働くのが政治家です。

近年では期待を汲み取ってもらえず
特に国政では論点の巧妙なすり替えとか
揚げ足取りのような場面ばかりです。

投票率の低下が示す通り、
政治離れはどんどん加速していきました。


失望とかうんざりとか
無力感のようなものがはびこっています。


ただ、インターネット環境の発達によって
物事の本質とか隠されていたことが最近では
どんどん明るみに出るようになりました。


パーソナルコンピュータが爆発的に普及した
Windows95の発売から30年弱。

約30年前、当時はなにか検索してもまだ
ネット上に情報がほとんどなかったので、
検索しても意味がない感じでした。

それが今や検索せずとも情報の方から
どんどんこちらに飛び込んでくるような時代。

ついこの前のことのように思うのに
30年でここまで変わるのか…、
こんなにも変わるものなのかと、
当時予想もできなかった現在に驚いています。


|未来に向けて

2020年に始まった疫病騒ぎ。

そのために世界は大きく変わりました。

今なお加速度的に様々なことが
変化・進化しています。

未来は「今」の積み重ね。

私自身はこの30年、なにかと
至らない日々を積み重ねてきました。

それでも周りのデキる人々のおかげさまで
いろいろな思索をする機会に恵まれました。

そんな中でここ10年ほどよく思うのは、
小さい人たちへの「教育」の重要性。

一口に教育と言っても範囲が広いのだけど。

意識の変化、とでも申しましょうか。

制度やルールが今のまま変えられないならば。

逆に、それを利用する側の意識が変われば
いつか制度も動かせるんじゃないかなと。


「ワタシの常識=アナタの非常識」

って言葉があります。(たぶんあったはず)


いい喩えが浮かびませんが…

うーん。
たとえば。

京都の一部地域では葬儀の際の不祝儀袋に
黒白の水引は使わず黄白の水引を用います。

そんなこと知らない四国人が
当たり前のように黒白の水引かけて
不祝儀を包むと、冷ややかにあしらわれる。

意味のわからない四国人、京都人に怒る。

そしたらまた、京都人も怒る。

お互いがお互いの風習とか文化とか
知ってたら、そして知った上で尊重しあえたら
なんでもなかったこと。

こんな些細な行き違いからもしも
国同士がイザコザを始めると、それはついには
戦争とかそういったオオゴトになります。

で、どっちが良い悪いではなくて。

制度とかルールとかって
実は「絶対」ではないんです。

管理上それを制定しておけば
民達を扱いやすいよねってだけ。

常識なんてところ変われば非常識になる。

ルールだって前提条件が変われば
全く意味をなさないものになったりもする。

なにが言いたいかというと、要するに
そんなあやふやなもののために
未来を背負って立つ「今」の
子供たちを潰さないでほしいということ。


受験のための勉強だけで優劣をつけ
発達障害の名のもとに個性を殺し、
別にしなくてもよい競争をする。


勝つか負けるか、善か悪か。

白か黒か、紅か白か、男か女か。


どっちなのかはっきりしないと
受け容れられない窮屈な集団生活。

グレーゾーンや多様性が認められない
そんな環境で日々を過ごさざるを得ないなら
繊細な子供たちが絶望して死にたくなるのも
道理かもしれないと思います。

生きるための知恵やスキルは教えられず、
どっちを向いているのかわからない
他国に忖度した微妙な歴史を教わり、
自己肯定感や自国への誇りを
育もうとしない教育。

それらのいびつさ、不自然さもどんどん
ネット社会が暴いて白日のもとに晒す時代。


…今ならまだ、ギリギリ間に合う。


そんな気がしています。


一体なにに間に合うか?


未来の日本を、
30年後の地球を背負って立つ
ヒーローたる子供たちを健全に、
愛を込めて育むことに。


いくら教育を無償化しても
その内容が適切なものでなければ
学校に行く意味は多くはありません。

今やこれまでの形態にとらわれない
新しい形の学校が次々と現れてきてもいます。


…子供集めてもっと他に教えんとあかんこと、
あるんちゃうの?


教育の専門家でもなんでもないオバチャンは、
そんなふうにちょっと思ってしまうのです。


時代は「令和」。


昭和の競争社会から平成を経て
ようやく多様性を考慮に入れはじめ、
調和する社会へと変わりつつあります。

「令」はレイ、0で輪っかになってます。
「和」もワで輪、漢字のツクリも輪っか風。

和を尊ぶ時代にふさわしい元号だったのだなと
感心します。


日本はこれから先、
世界の中心を担っていくであろうと
ちらほらささやかれています。

そんな、まさか…、と
今はそう考えても仕方ないような状況ですが。

Windows95からの30年間を思い返せば
この30年で育つ子どもたちによって、
もしかしたら…と思えはしないでしょうか。

焼け野原だった敗戦からの来し方を振り返り、
もしかしたら…と思えはしないでしょうか。


歴史に残るようなあの日、この日。


度重なる大地震からの復興を鑑みて
もしかしたら…と思えはしないでしょうか。


どんなに困難に思える状況でも
幾度となく日本は不死鳥の如く立ち上がり
めげずにまた、力を合わせ、声を合わせて
一から、いや、零から積み重ねてきました。

それだけのポテンシャル、可能性を
私たち日本人はこの身のDNAに秘めています。

脈々と受け継がれる、
そんな不屈の遺伝子を持った私たち。

なのに今やすっかり自信も希望もなくし
選挙に行ってもなぁ、って感じで
多くが投げやりな気持ちになっています。


しかし、望む未来は「」の積み重ね。

今を大事にすることは
未来を大切にすることでもあります。

今、変わるときだと私は思います。

今、間違いなく大きな節目の一つです。


選挙で選んだ一人をタテマツリ、
その人に依存してなにかしてもらうのではなく
選んだ一人をプラットフォーム(足場)にして
みんなが主人公としてのびのびと生き、
お互いを尊重して輪になり和とする時代へ。


これまでは投票に行かない主義だった方も、
白票を投じる主義の方も、
めんどくさがりのあなたも、
全く興味がないわって方も。

もう残された時間はあまりありませんが
今回はぜひ選挙に行ってみられませんか?

未来を変えるには今を変えねば
いつまで経っても変わりません。

たった一票じゃ…と思われるかもしれません。

でも。

その一票の積み重ねが
未来を決めてしまうこともあります。

取り返しがつかなくなる前に。

失ってから気づくのではなく。


投票率が下がれば組織票が強くなります。

浮動票のポテンシャルは恐ろしいほどの
可能性を秘めているのですよ笑


|おしまいに


さて。

あぁ、ワタシ……。言えたやん!

声を上げました。上げられました。


…うん。

よし。

言いたいことは言いきった。

ま、正確には

「言った」じゃなく「書いた」ですけど。


政治的な話題は宗教的な話題と並んで
マナー上、一般的にはタブー禁忌とされています。

各個人の信条というものが
それぞれにあるからです。

でも、それは本当にタブーでしょうか?

お互いが相手の信条を尊重できるのであれば
政治も宗教も、タブーでもなんでもなく
それは ”ただの” 信条の話です。

「私はこう思ったよ」というだけの話です。

戦後輸入された欧米一神教文化の影響を受け
相手の気持ちを忖度し

「そういう話題は初めから避ける」

「自分以外の機嫌を先回りして取る」

そんな風潮になってしまいました。

だから今もタブーだと思って疑いもしません。

戦後数十年という歳月を経て今や
誰も普段のお付き合いで政治の話もしなくなり
投票率も下がって他人任せになっています。

本当はタブーでもなんでもない。

お互いを尊重しあっているからこそ
神社へ初詣にも行くしお遍路さんもすれば
クリスマスも祝いーの、なんでもありの
日本の信仰や宗教的な文化。

もしこうした話をして機嫌を損ねたとしても
それは完全に不機嫌になった側の問題です。

なにに、どこに心がひっかかったのでしょう?

その基準は、誰から与えられた”常識”ですか?

それを解明するのはその人がすればいいこと。


また、私たちには「創造の力」というものが
誰しも備わっています。

どういう世界を創り出すか、創り出したいか、
どういう世界を見たいのか、
どういう世界で居たいのか。

一人一人の自由選択です。

私もこの記事を書くまでは迷いました。

政治的な話題を取り上げては
読んでくださる方が気を悪くするのではないか。

…しかし。
それはつまり、読んでくださる方々を私が
信頼していなかったということです。

こんなことで気を悪くする方達ではない、
そうした信頼があればなんでもないことです。

そうして今日、私はようやく
自他ともに信頼する
ということに思い至りました。

今飲んでいるフラワーエッセンスにはそのまんま
文字通り「信頼」のエッセンスが選ばれて
含まれていたことにたった今気がついて
鳥肌が立っております笑

おかげさまで
この大きな山は一つ越えられました。

この調子で、いっそう声を大にして
フラワーエッセンスの普及に努めてまいります。

未来のヒーローな子どもたちを
健全に、愛を込めて育むためには
まずはお母さんたちに癒しが必要です。

母のみならずもう一つ前の世代の母、
つまり子どもたちから見ておばあちゃん、
さらに遡って、少なくとも
ひいおばあちゃんまで癒す必要があります。

悲しみは世代間連鎖をするからです。

それはもう今では目には見えない
エネルギーレベルの悲しみかもしれません。

だからこそ、同じく目には見えない
エネルギーレベルのフラワーエッセンスが
今後ますます必要とされる時代だろうと、
そんなふうにも思うのです。


重い競争社会の常識しか知らない
私たち昭和世代と、
そんな昭和世代の影響を色濃く受けて育った
これから母にならんとする平成世代。

どちらにも、癒しを。


そうして全ての子どもたちがのびのびと生き、
自分以外のなにものかになろうとせず
そのまんまで在ることができるように。

たとえ失敗しても
再びチャレンジできる社会であるように。

もし間違っても
ゆるされる社会であるように。


10,800字超、最後までお付き合いくださり
ありがとうございました。

☝️県選管のポスター。
見つけたとき笑いました🤣

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