見出し画像

初午のシンクロニシティ

こんにちは。
今日もお立ち寄りくださりありがとうございます。

少し前、今年の2月18日(金)は寅年寅月の寅の日だったそうです。

虎は黄色、曜日も“金”曜日。
さらにトラは一夜千里を走り千里を戻るという言い伝えから、
出ていったお金がすぐ戻ることを期待して金運に良いとされます。

春ですし、お財布を新調された方もいらっしゃるかもしれませんね。

ところが今日はトラではなくウマのお話。
いや、キツネやタヌキも出てきます。
オチはございませんがお時間よろしければご覧くださいませ。

初午

今年、この約一週間前の2月10日(木)は
一粒万倍日+初午はつうまだったそうです。

そのためなのか?この時期のごく短期間に
初午
という文字を繰り返し繰り返し目にしました。

で、ふと。
そういえば…初午ってなに?と気になりまして。

昔から暦では毎年目にする「初午」。

実家では特になにもしていませんでしたので、
なんの日なのか?いまだよく知らないまま。

今回、調べてみてわかったのは

○毎年2月最初の午の日が初午
○「お稲荷さん」のご縁日
○京都の伏見稲荷大社に神さんがご鎮座なさった日に由来
○この日にお祭りがあるところも
○稲荷ずしを食べるならわしがある土地も

と、どこを見てもだいたいこのような感じ。

稲荷ずしを食べる風習は、
眷属けんぞく(お使い)である狐さんたちの好物が
お揚げさんとされているからでしょうか。

アマノジャクなので

「ほんまにキツネさんってあげさん食べるん?」

とか。

「なんであげさん好きなん?」

とか。

「嫌いなものはなに?」

とか。

実はコレ、子供の頃からめっちゃ聞いてみたい
ことごとだったりします。

伏見稲荷大社のキツネさん

さて、件の京都伏見稲荷大社へは、数年前に初めて伺いました。

京都駅発の市内周遊観光バス。
その一番短い3時間コースに含まれていたのです。

当時、バスはほぼ満席。
着いた先も、どこも人でいっぱいでした。

眷属の狐さん🌾
朱塗りの鳥居⛩

そのときのバスガイドさんの説明によれば、
狐さんたちがお口にくわえているものは4種類。
宝珠(玉)、鍵、稲束、巻物、の4つ。

知らなかったので、へぇええぇ!と目から鱗でした。

(諸説あるそうですが)
稲束をくわえていれば五穀豊穣。
巻物をくわえていれば学問や知恵を。
蔵の鍵をくわえていれば福徳を。
そして玉をくわえた狐さんは
この鍵をくわえた狐さんと2体で一対なのだとか。

お稲荷さんには「玉鍵信仰」というのがあるとも聞いて、よくわからないけど
当時とても印象に残ったのを覚えています。

打ち上げ花火を見るときの
「たーまやー!」「かーぎやー!」も
この玉と鍵から来ているのだそうで。

詳細な説明、探したらありました。
下に一部引用します。

実は、境内で見かける狐は、全て同じではなく、口に咥えているものが4種類と違いが見られます。宝珠を表す「玉」と米蔵の「鍵」、五穀豊穣を意味する「稲穂」、知恵の象徴である「巻物」。

伏見稲荷大社には、“玉鍵信仰”と呼ばれるものがあります。「玉」は稲荷大神の霊徳の象徴を表し、「鍵」はその霊徳を身に付けようとする願望とされており、「玉と鍵」の二つは、陰と陽、天と地といった万物が二つの働きによって生み育っていく理を表すとされている伏見稲荷大社の稲と合わせて象徴的な考えです。

江戸時代に実在し、花火が打ち上がった時の掛声としても有名な花火屋「玉屋」と「鍵屋」の屋号を付けた由来でもあるとか。
火事が多かったされる江戸時代では、火伏祈願として屋敷神として伏見稲荷大社が個人的に祀られることが多かったそうです。
宝酒造HPより   https://sakabanashi.takarashuzo.co.jp/cat1/GDzPN

よく古いお屋敷のお庭の片隅に
お稲荷さんが祀られていたりしますが、
なるほど火伏せのためだったのかと納得。

初午のシンクロニシティ

ところで、今年の初午だったこの日の夕方、
私は夫の住む徳島県に向かっていました。

着いてから炊飯すると時間がかかるし、
食材を持って出るのを忘れたこともあって、
お弁当を調達しようと道の駅に立ち寄りました。

しかし無情にもお弁当は売り切れ。

お惣菜すら残っておらず、
頼みの綱の手作り冷凍餃子も売り切れ。

『平日なのに…いったいなにがあったん…』
(オオゲサ)

冷蔵コーナーには半額に値下げされたパックの稲荷ずしだけが
山のように残っていました。

普段、私は稲荷ずしに手が伸びることはまずありません。
嫌いではないけれど、わざわざ買って食べるほどでもない感じ。

このときも、残っているのはお稲荷さんだけだったので
夕飯が遅くなっても着いてから白ご飯炊こうかなと迷いました。

でもこれまで見かけなかったお稲荷さんが
半額で山積みになっているのを見て思い直し、
廃棄されるくらいなら1つだけでも…と
普段買わない稲荷ずしを手にして向かったのでした。

その後、ここ数日で

「初午には稲荷ずし」

という風習があると何度も見かけました。

オヤ?アレ?と記憶を辿ると…
このように偶然が重なって…

……!!
なんとワタクシ!

ちゃんとその初午の日にお稲荷さん食べてるじゃないか😂

すごい!!(すごい?)

しかも、いつもなら珍しいものは
必ず写真に収めているはずなのに、
この日はよほどお腹が空いていたのか?
食べてしまってから、そういえば
お稲荷さんの写真を写していないことに
気がついたのでした。

山間やまあいの田舎ずしにはすし酢に
使われているのが柚子酢であったり
甘く炊いた金時豆が入っていたり。

瀬戸内海沿いのおすしとは具材も味も違います。

普段口にすることのない、その土地その土地の食べものは
こうした違いの発見があるのも楽しみの一つ。

そんなわけで道の駅巡りが大好きです。

機会損失

そして、初午の翌日。
お気に入りのいつもの大クスさんに立ち寄りました。

で、ここに行く途中、国道から目立つところに
大きな稲荷神社さんがあります。

以前からずっと気になっていて、この日も実は
行ってみようかなと地図で見ていた場所でした。

前を通った際に車のスピードを一瞬ゆるめたものの
相変わらず大変に至らないニンゲンのワタクシ。

「うーん…。また今度でいいか♪」

と通り過ぎてしまいました。

午の日の翌日は未(ヒツジ)の日。

ヒツジは紙を食べるので
(それヤギちゃうかなぁ)
紙→お札、の連想から
(おフダじゃなくておサツ)
ヒツジ年生まれは

カネを食う=カネマワリが良い

なんてことも俗に言われます。


あーあ…あのときちゃんとご挨拶に伺っていれば。
初午の翌日のカネ食い未の日!!(オイ)
ご利益にあずかれたかもしれないのに!!!

このように内なる直感を無視して、あとから

「あー!あのとき…!!」

となることがワタクシけっこうございます。

どなた様の上にも前にも、あちこちから
こうしてサインは届いているはず。

なるべく頭や思考で判断せずに
心のままに従うと、ご利益もあるかもしれません。
(シランケド)

なぜか大楠さんの下に突然現れた“きょうりゅう”。

タヌキ vs. キツネ

なぜ人はなんでもvs.付けて対立させたがるんでしょう。
…つい私もvs.付けて対立させてしまいました。

他意はございません。

さてこの、タヌキとキツネ。

かつてどのような経緯いきさつがあったかは存じませんが、
かの有名な超人、弘法大師空海さんによって

四国からキツネは追い出された

ゆえに四国にキツネは生息していない

というのが通説となっております。
(いったいなにがあった…)

で、おそらくほとんどの四国島民は
それを疑いもなく信じています。

特に東四国、つまり徳島・香川両県には
著名でオトコマエなおタヌキさんの有名な武勇伝や
伝承の類がそれはそれは数多く残されています。

生きたタヌキの姿ならよく見かけるけれど
一方のキツネはというと、姿はおろか、
伝承のひとつとて残ってない感じ。

香川県の観光地の一つ、屋島やしま山上に
お稲荷さんがありますが、朱塗りの鳥居の前では
キツネではなく夫婦狸がお出迎え。

お稲荷さんというよりは狸大明神を祀っているのではという感じ。
古くからそこにあったそうで経緯はよく分かりません。

お向かい、本州岡山県の最上稲荷は西日本では有名ですが、
海を越えた四国にはそこまで有名な稲荷社はなさそうです。

四国七不思議のひとつ。
(あとの6つはシランケド…)

お大師さんとの間でどうにかなったために
四国にはキツネがいない説を私自身、長年信じておりました。

ただ、近年、いつだったか山の中で
タヌキとも違うシルエット、
トマコ(イタチとかハクビシン系)とも違う、
かといってイヌでもない
どう見てもキ、キツネ…?!と思われる影を見て
やっと、この「四国にキツネいない説」に疑問を持ちまして。

Google先生にお尋ねしたところ

「ん?キツネ?四国?」
「うん、居てるよ〜」

とのお答え。

本州などに比べればごくわずかですが
少数ながら実際にホンドギツネが生息しているそうです。

近年は徐々にその数を増やし、
人目に触れる機会もちらほらあるのだとか。


えぇえぇえーーーっ∑(゚Д゚)
なんや!居てるんやんか!!

知らんかった…。
ずーっと知らんかった…。
ずーっとずっと騙されてた…。

(↑いやそれ勝手に思い込んだの誰)

もしかしてキツネトタヌキノバカシアイ?
キツネにもタヌキにも化かされた?!

TVとか新聞とか本でも見た気がするのに?!

メディアで流されていることは
ほんとうのことなのか?

それとも…

幻術よろしく見せられている世界なのか?

ゆらゆらゆらめく蜃気楼のごとく
目に映るものはマボロシのようでもあり。

まぁただの思い込みとか思い違いと言われれば
そうなのですけれど…。

カネ vs. イネ

初午の日に、そうとも知らず偶然手にした稲荷ずし。

とても厳しいとなにかと噂のお稲荷さんですが、
多少なりともご縁があってのサインだったならば
ありがたいことだなぁとも思ったできごとでした。

いなり、は「稲生いねなり」が語源説もあるそうです。

伏見稲荷大社さんの公式サイト内「よくあるご質問」にもありました。

超余談ですが、サイトドメインが
「inari.jp」ってなんかカッコいい(笑)

今やお金無くしては生活できない世の中ですが
お金だけ持ってても、生きてはいけません。

さきの戦争を経験した世代の方たちは
それを身をもって知ったはず。

いくらお金を持っていたって。
売ってもらえる食べものが無ければ、
大事なその身の生命を繋ぐことすら難しい。

なのに、なぜかいまだにお金が幅をきかせています。
かさばらなくて、なんにでも替えが利くお金。
確かにわかりやすいし、便利っちゃ便利。

「あー、車ほしいな〜」と思ったとき。

大切に何年も手間暇かけて育てた牛一頭と引き換えなら、と思う人もいれば
多くの木材と労力を費やした家一軒と引き換えにする人あり、
あるいは凶作の年に立派に育った大根百本と引き換えなら、と思う人もいるかもしれない。

人の価値観はばらばら。
その上なにかに価値をつけるというのはとても主観的な行為なので、

車=牛一頭
車=家一軒
車=大根百本

とたとえお互いがそれでヨシと合意しても、相手が変われば

牛一頭=家一軒=大根百本

とはならないのが難しいところ。

その点、お金ならその辺りがあやふやなままでも
価値が一定で安定しているという理由で通ってしまうのが不思議なところです。


昔、といっても私の祖父母世代の子供時分。
たかだか100年ほど前には、まだ「年貢米」らしき概念が
色濃く残っていたように聞いた覚えがあります。

私自身が小学生の頃でさえ、暮れになると歳末助け合いとして
配られた茶封筒に各家庭から生米を入れて差し出すようなこともありました。
家を借りたお礼として、お金はなくても米俵で返すことが通用する時代。

この国に生まれ住まう私たちにとって、
黄金色に稔るイネは生命の源といっても過言ではない、
それほどまでに大切な、そして便利な、欠かせないものでした。

今やすっかりイネの時代からカネの時代になってしまいましたが
イネは食べられてもカネはそのままでは食べられません。

ほんとうの豊かさとはなんだろう。

そう考えたとき、真っ先に私の頭に浮かぶのは
たわわに稔り、こうべを垂れて風に揺れる一面の水田。
黄金色になった、稲刈りのあとの切り株だらけの刈田。
春夏秋冬それぞれに清々しい、田んぼの風景の香り。

トラ vs. ネコ

そんなことごとを考えながら夕飯の支度をしていた2月18日、寅年寅月寅の日の“金”曜日の夕刻。

数日ぶりに帰宅した夫が手にしていたものは、
一穂いっすいの稲穂でした。

聞けば、道の駅で「ご自由に」と置いてあったそう。
稲穂や稲藁好きの妻や飼い猫が喜ぶだろうと持ち帰ってくれたものでした。
(たしかにどっちもめっちゃ喜んだ)

何事もタダでしてもらうことをヨシとしない彼が
それを「ご自由に」持ち帰るにはそれなりの気合いが要ったはず。

ちょうどこの日はこの記事の下書きをしていたこともあって、
時期外れの予期せぬ「稲穂」のシンクロニシティに驚きました。

トラは一夜千里を走り戻ると言いますが
同じネコ科のイエネコは、昔から一夜に七山越えると言われるそう。
これは祖母が繰り返しよく話していたことで、
全国的ないわれのあるものかどうかは定かではありません。

実際、かつて飼っていた猫の中には
ちょっとびっくりするくらい遠出していたケースもありました。

今また夫は慌ただしく赴任先に戻りましたが、
残された稲穂を眺めては、次の一粒万倍日はいつだったかなと考えています。

で、稲はお米ですが脳内では聖書の有名な一節
「一粒の麦」がぐるぐる回っております。

一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん。もし死なば、多くの実を結ぶべし。
(ヨハネによる福音12:24)

この、道の駅でいただいた稲の穂。
これも籾を蒔いたら多くの実を結ぶだろうか。

…桜の花が咲く頃に、まいてみようか。

土の肥えた田んぼがほしい…。

とりとめもなく考えております。

今年はまだまだこちらでも余寒厳しい今日この頃。
何方様もご体調崩されませんよう暖かくしてお過ごしくださいませ。

金のなる木に花が咲きました

#初午 #いなりずし #シンクロニシティ #フラワーエッセンス #一粒の麦 #寅の日 #とりとめもなく #とめどなく #あふれる思い #豊かさ #abundance

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?