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ABBAな日々。

ワンルームの寮。
やっと見つけた仕事。

感じる閉塞感と逃避欲。わたしはここにいるべきじゃないと、現実からどうしても逃げたい自分の声と、今そこで辞めたら本当に色んな意味でやばいよ、というわたしの中にわずかな比率で存在する冷静な部分が日々戦っている。

何か上手くいかない時、上手くいっていない原因を外に求めてしまう。
それがわたしの良くないところ。
本当に見つめるべきなのは自分自身なのに。それができない。

締め切った窓の向こう、燦々と太陽の光が照りつける深い緑の艶々とした葉っぱたち。時折風が吹いて、さわさわと気持ち良さそうに揺れている。

そんな様子を、羨ましいものを見るかのように、ただぼーっと眺める。
病室の中から見る外って、こんな気分なのかな。
ついそんなことを考えてしまう。

自分を変えるべきなのに、それができない。
自分を変える、例えば夜に抗って今にも閉じそうな目をこじ開けて、不安な夜と戦って夜遅くまで起きていることとか。

マンネリ化、単調、日々に絡め取られる私の時、
どうしたって、そこから逃れることはできないのかな。
いつまで経っても、完全に自由奔放に生きることを知ってしまったから、その自由を求めてしまうのは、よくないことだろうか。

唯一私を解き放ってくれる時間は、音楽。
音楽に触れている時だけは、私そのものという存在すらも忘れて、形あるものとしての自分なんてどうでも良くなる。ただ、それに身を任せている時間。

最近毎日ABBA.
彼らのミュージックはわたしに生きる希望を与えてくれる。

I really really like this:)

話は変わって、昨日、ある言葉を見つけた。

◼︎「一番幸せなのは、幸福なんて特別必要でないと悟ることだ」
◼︎The greatest happiness you can have is knowing that you do not necessarily require happiness.
ーウィリアム・サローヤン

毎日特別な幸せばかり追いかけて、毎日BIGな幸せに出くわすことを夢見て、今のこのドロドロのどん底からどうにかして逃げたいなんて考えてる。だけど、幸せって一気にどーんってくるものでもなくって、それが欲しい欲しいと、切望すればするほど、どんどん空っぽの自分になっていくんだ。つまり、大切なことは足ることを知るということ。

今の私はどうかな。
大きな悲しみを経験して、いつも悲しくて、それでまた幸せを見つけて、だけどそれも長く続かず。そしてまた幸せを追い求める日々。あなたは幸せを見つける、手に入れる権利があるけど、それを追い求め続けて、不幸になる権利はない。

小さな幸せという言葉は使いたくない。
幸せはいつもきっとそこにあるはずだから。この存在そのものが、ギフトで、幸せそのものだから。かといって大きな幸せを待つ必要もない。ただ待っていては何も掴めない。

自由に生きたい、でも現実は上手くいかない。
どこかで見切りをつけるべきか。
どうしたらいいのかな。
生きるのに疲れてしまって、今はうまく考えられないや。音楽を聴いている時の私みたいに、ただ流れに身を任せる時間も、もしかしたら人生には必要なのかもしれない。

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