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結果、幸せしか残らない

40年生きてみて感じたこと。

しんどい時期を乗り越えた、2021年はそんな年だった。

環境の変化を後悔し、便利から不便への適応を求められ、苦手な事への取り組み。

過去へは戻れない葛藤、今を受け入れる覚悟、変えられない環境、自分の決断を恨む日々。

それでも生きる事をやめることは出来ない。

毎日、何をしたら平穏を取り戻せるのか、幸せを取り戻せるのか考えて、noteに心を綴り、育児をしながら、浮き沈みする心と対話していた。

どんな感情であっても、どんな状況であっても、生活は止まらない。

それは、残酷なことでもあり、救いでもある。

現実から逃げるために書いたnoteは、スキを集めるために取り繕った自分で埋め尽くされていた。

優しい人達と交流を持つたびに、本当の自分に蓋をする。

誰かと交流を持つことは、自分に蓋をすること、もしくは自分を偽ること、そうして生きている自分に気がつく。

誰かにとって良い人で在りたい、そんな鎖に縛られている。

そんな自分が嫌で、別人になる。


年を取ると、大体のことは忘れる。

ある意味、アホになる。

細かいことは、スルー出来るようになる。

不思議なことに、辛いことも、嫌なことも忘れている。

しかし、幸せなことは忘れない。

年を取ると、楽天的になるのか?

人間とはそういう風になっているのか?

アホになる方が、幸せに生きれる。

そんなことを学んだ。

辛い時ほど、アホになる。

そんな技を身につければ、どんな状況でも生きていける。

どんなに辛くても悲しくても、立ち直れないと思っても、結果的に楽しかった事や、幸せな思いしか残らない。

辛いことの後に幸せがやってくるのは、そうした自分の心の変化なのだろう。

幸せの後に辛さがやってくるのも、それもまたしかり。

嫌なこと、辛いことの先には必ず幸せがやってくるし、幸せの先には予期せぬ辛さが待ち受けている事さえ、頭の片隅に置いておけば、生きることはそんなに辛いことでもないかもしれない。

いつも幸せでいられる事を願っていても、長い人生幸せだけでは、幸せは得られない。

ずっと幸せでいたいなんて願いは、矛盾でしかなくて、叶うことはない。

辛さと幸せ、山と谷、楽と苦、そういった相反するものが存在するから、それに翻弄されている内に、あっという間に人生は終わる。

ありがたい、と思うようにしよう。

坂道を上り終えたら、景色が変わるのは当たり前だし、清々しい疲労感は気分が良くなるものだ。

2022年は、山の上で少しお茶でも飲める余裕が出来ると良いなぁ。



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