小説トンデロリカ EP01「ファイヤーボール」後編
■chapter3
「フサ……フサ……」
ツルコロンの、光を反射しない三つの目が、小刻みに震える。
犬どもの毛並みを見回しているのだ。
「なんなんだこいつは!?」
「ゴムっぽい臭いがする! 気持ち悪い!」
犬達が口々に叫ぶ。
さっきまでの猛々しさは失せていた。
あの臭いが犬どもの士気を低下させている。
ターゲット情報を入力されていないツルコロンは、こちらから手を出さなければ基本的に無害だ。
しかし。
「フサ……フサ……!」
ツルコロンが、尖ったパーティー帽と鼻眼鏡をかけたムク犬に手を伸ばした。
「チャチャマル! 逃げろー!」
チワワが叫ぶ。
遅い。
「え!? うぐっ」
俺は全力でムク犬を突き飛ばした。
一瞬前にムクのいた空間に、丸太ほどもあるツルコロンの拳が打ち込まれる。
床がクレーター状に陥没し、建材が噴き上がる。
もしや……。
つい先日、俺とロリカは大量のツルコロンを叩きのめした。
その時に奴らの中に生まれた「敵認識」が、離れた位置にいたツルコロンにも伝わったんだろうか。
俺とロリカに共通した容姿などない。
俺にはこの柔らかく艶のある毛並みがある。
が、ロリカは髪こそふっさりしたところがあるが、他はよくわからん半端者だ。
これら、もとよりぼんやりした「敵認識」の情報が、遠隔コピーされる事でさらに劣化していったのだろう。
今では「単に毛のふさふさした奴」を端から狙う程になっているのかもしれない。
「者ども、かかれ!」
「ウォー!」
幾条もの煌めきが走る。
ツルコロンは、犬達の真ん中で、何本もの縄でグルグル巻きにされていた。
その縄の端を、犬達が咥えて、必死に拘束しているのだ。
鉤縄や鎖分銅だ。
だが。
「お頭ー! もう、もたねえ……!」
「ぐわあ!」
ツルコロンが体を振り回し、縄や鎖を引っ張られて、犬達が吹っ飛ばされる。
「ジロウ! ウータン! ドリスデンー!」
チワワの悲痛な叫び。
チワワは宙に舞い上がり、体を回転させた。
チワワの体毛が針のように飛び、ツルコロンの影に突き刺さる。
ツルコロンが動きを止める。
影縫いだ。
だが、それも一瞬しかもたない。
ツルコロンが体を振り、影に刺さった毛針を折ると、離れたところにいるはずのチワワの体から血が吹き出た。
「ぐああ!」
チワワが、俺の足元にどさりと落ちた。
こんな奴ら、どうなろうと俺にはなんの関係もない。
興味もない。
だが。
横目でロリカを見る。
毒に酔った視界に、ロリカの泣き出しそうな顔が渦を巻く。
ターゲット、か。
ついてないガキだ。
俺と関わり合いになったばかりに。
俺と、「友達」になったばかりに。
俺は、犬どもとの喧嘩では使う気のなかった電磁クナイを、展開した。
「待て……待ってくれ!」
地面でぼろ雑巾のようになっていたチワワのジェラルドが、俺の足にすがりついた。
「あいつから漂うゴム臭……! それに混じるこのスメルは……!?」
鼻をひくひくさせながら。
「ああー!? あれは!?」
ジェラルドが素っ頓狂な声を出す。
先ほどまでの不敵な雰囲気とはえらい違いだ。
ジェラルドの視線の先は、ツルコロンの、その足元だった。
ツルコロンの足には、底の厚いサンダルが履かれていた。
造り物の花や葉がくっ付いている、なんか妙にキラキラした履物だ。
ロリカの質素なスニーカーとはどこか違う。
「マシュマロとドブ……熟しきって地面に落ちたフルーツのような……甘美な腐敗臭……聖なる悪徳のスメル!」
ジェラルドの目から涙がこぼれる。
何やら思うところがあるようだが、俺には関係ない。
「やるか」
俺は二本の電磁クナイを構えた。
刃の表面をプラズマが走り、空気を焼く嫌な臭いが漂う。
だが、そのプラズマの煌めきは、陽炎のように俺の体にまとわりつく。
揺れているのは俺の視界だけか、俺自身か。
「ファル君!? 大丈夫なの!? フラフラだよ! 手がブルブルしてるし、口から泡が」
ロリカの声。
「そんな状態で、首の切り取り線だけを斬れるの!?」
カッとした。
「お前ごときが、俺の腕を疑うか」
「ファル君は休んで! わたしがやる!」
ロリカが何の意味もない「変身ポーズ」を取った。
光が辺りに満ちる。
しかし、その光が鎮まった後、戦闘服をまとっているのは、俺の方だった。
戦闘服は亀裂だらけだった。
激闘続きで、自己修復機能自体の自己修復もまだ終わっていない。
おまけにシールドエネルギーは0パーセントのまま。
かろうじて形を保っているだけだ。
こんな物をお前が着て、気持ちだけ大きくなられても困る。
困るんだよ。
「ファル君!? だって、間違えて斬ったら、中の人死んじゃうんでしょ!?」
その言葉に、ジェラルドがギョッとする。
「待ってくれ! あの人は、殺さないでくれ!」
ジェラルドが、俺の前に回り込んできた。
「邪魔だ、どけ!」
「あの人は、あの人だけは! お前だって、あの小娘が大事だろう!?」
ジェラルドがロリカを鼻でさす。
「それと同じだ! 俺にとっちゃあ……」
「いや、違うね。ロリカは、ただの行きずりだ」
偶然この星に流れ着き、偶然に接触しただけだ。
お互いの生態も知らない。
このまま、理解もしないままに別れるのだ。
俺はまた流れていくだけだ。
星が何周か回れば、互いに思い出す事もなくなるだろう。
「おい、小僧。ツルコロンの味方をするのか? その意味、分かっているんだろうな?」
大物ぶってみても、所詮、畜生は畜生か。
「やめて、ファル君!」
不意に、俺は後ろから抱き上げられた。まさか、ロリカ!?
「なんか分かんないけど、きっとダメだよ! そんな危ないもの、しまいなさい!」
「ロリカ、貴様……」
俺はロリカの腕を振りほどく事が出来ない。
電磁クナイの刃が、こいつのつるっとした肌に触れてしまう。
「この子、あのツルコロンの中の人が好きなんだよ!」
「翻訳インカムもつけてないお前に、犬の言葉が分かるはずないだろう」
「分かるよ! ファル君こそ、言葉は分かるのに、分かろうとしないんじゃないの! いつも偉そうにしてさー! そういうの友達なくすよ! 嫌いになっちゃうよ」
耳鳴りがした。
毒のせいだろうか。
それとも。
……クソガキが。
「貴様は、つるっとしてるが、ふさっとしてるところもあると思ったからこそ、俺は、貴様を……」
友達、だと思って……。
「くそ! やはり、どっちつかずの奴か!」
「違うよ! 私は味方だよ! ファル君と同じだよ!」
「だ、だまれ!」
俺は、ロリカの脇腹を撫でた。
「あふぅっ」
ロリカの手がゆるみ、俺は地上に飛び降りた。
「俺と同じだと? 言葉ではどうとでも言える! 嘘をつくなー!」
俺はロリカのズボンに前足をかけ、その下の衣類ごと、一気に下に下ろした。
瞬間、間髪入れず。
全身に、衝撃。
俺は、砲弾の直撃を受けたのかと思った。
違った。
ロリカの、スニーカーを履いた右足に蹴られたのだ。おそらく。
戦闘服が卵のように割れ、中身の俺だけが飛び出した。
俺の体は高速回転しながら吹っ飛び、空力加熱で獣毛が発火した。
回転速度が速すぎて、もちろん視界はゼロだ。
まるで、遠心分離機にかけられたようだ。
脳みそから、魂が引き剥がされる……。
突然、目の前にある景色が現れた。
さえないデラムクが、配給のパンについているシールを、冷蔵庫の扉に並べて貼っていく。
かと思うと、紙に鉛筆でグルグルをひたすら書いたりしている。
クリップを繋いで鎖を作ったり、またバラしたり。
こいつは……、俺だ。
なんだこれは。
走馬灯か。
なんて、どうでもいい回想シーンなんだ。
俺の一生はなんだったんだろうな。
このまま、無意味に死ぬのか?
手ぶらで。
何も得られず、何も与えられず。
部下のノキオも、レプセンも、俺自らの手にかけた。
掴んだものを投げ捨てる事しかできない。
ゴミのように生きて、ゴミのように消えるのか。
ざまあないな、俺は……。
激突!
「ゲバラッ」
俺は、コンクリートの柱に、背中から逆さまにめり込んでいた。
衝撃で痙攣する視界の中、上下逆さまに映るのは、ツルコロンの後ろ姿だった。
そいつの首筋は抉れ、火を噴いていた。
火の玉と化した俺がかすった痕だろうか。
ツルコロンの首筋の火点はバチバチと音を立て、導火線のように、火花が点線を辿っていく。
火花が一周した時、もっちりした巨大な肉襦袢が崩れ落ちた。
ツルコロンの残骸の中に倒れていたのは、褐色肌のむっちりと肥えた人間の雌だった。
「アオッ(ご主人!)」
やけに甲高くなったチワワの声。
「う、ううーん……。ああ、ジェラルドちゃん!?」
ウエーブのかかった長い髪をした太った女が、体を起こした。
ジェラルドは、そのむちむちした腕に飛び込んで行った。
「ワフッワフッ(ご主人! 俺ぁ探しましたぜぇ!? 長い事探しましたぜぇ!? 地球の果てまで探す気でしたぜぇ!?)」
犬友会の連中が、チワワと女の周りで、さんざっぱら飛び跳ねた後、遠吠えの合唱を始めた。
体を左右に揺らしながら。
俺たちゃ 忠臣 犬友会
主の為ならうんとこしょ
犬死に 犬飯 犬ザムライ
架空の盃 酌み交わし
群れよ 家族よ 封建社会
嗚呼 バウワウ ぺろぺろ 犬友会
俺はコンクリートの柱に逆さに張り付けられたまま、犬どもの茶番劇を眺めていた。
「ゲフッ」
血を吐いた。
その反動で、床に落下する。
脳天を尖った建材に打ち付けたが、今さらダメージの加算はどうでもよかった。
もやのかかった視界の中で、チワワが子犬のようにはしゃいでいる。
なんだよ、みっともねえ野郎だな……。
まあ……、あのツルコロン、殺さずにすんで、良かった、かもな……。
暗転。
俺は、目を閉じていた。
泥の中に体が沈んでいくようだ。
そうだ、このまま……。
「ファル君!」
いきなり、地面の感覚が消えた。
足が空中をぶらぶらする。
俺は、乱暴に抱き上げられていた。
またこいつか。
「やだよ! やだ! 死んじゃやだよ! せっかく友達になれたのに!」
とも、だち……?
それは、何だったか。
遠い昔に聞いた気がする。
薄目を開ける。
ロリカの新しいスニーカーは、右足だけ、血でどす黒く汚れていた。
「なんで、いつもファル君が痛い思いをしなくちゃいけないの。なんで? もう、私いやだよ!」
滴が俺の上に落ちる。
焦げた獣毛が濡れていく。
涙……。
俺のために、泣いているのか?
びちゃびちゃじゃねえか。
昨日シャンプーしたってのに、
こりゃあかなわねえ。冗談じゃない。
「泣くなよ……。お前はもう子供じゃないんだろ? あれ? ふさっとしてたっけ? つるっとしたままか? 思いだせんが……」
どうにかこうにか、笑ってみせる。
「どっちでもいいか。お前なら」
俺は一介の兵士だ。部下だって持っていた。
そこいらの甘ったれたチワワとは違う。
だがまあ、今は怪我人だ。
もうしばらくは、この子供の好きなようにさせてやるか。
俺を抱くロリカを取り囲むように、犬どもが集まってきた。
チワワのジェラルドが、なにやらおごそかに、もったいぶって、尻尾を丸めて寝転び、腹を見せる。
他の犬どももそれにならった。
どうやら俺には、数多くの舎弟が出来たらしい。
それと、友達ってやつが。
ただその中で、犬の着ぐるみだけが、感情の無い作り物の目で、俺達を見つめていた。
それが何を意味するのか、この時はまだ気付いていなかった。
おしまい
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