ファンは部外者

グラウンドで土にまみれ、大きな声を出し、スーパープレーを繰り出す野球選手がカッコよくて、野球選手のいる野球場が清々しくて、ずっとそばにいる。

いつの頃からか、こどもの頃からか。
私は、ヤクルトのユニフォームを着ている選手のことが大好きだった。

でもそれは、昭和の小学生にとって、
「讀賣じゃなくて、ヤクルトのユニフォームを着てくれてありがとう」
という、世の中の正義に抗う感謝の心があってのことだった。

これだけで人生を語れるのも、単純だ。でも、私は毎日笑っている。人生、楽しいよ。ヤクルトが、野球が、近くにあるからね。

うれしかったのだ。ヤクルトの、あの縦縞のユニフォームを着て野球をする我が選手が、誇らしかったのだ。
それは、今でも変わらず続く、ヤクルトという野球集団への思いだ。

◇◆◇◆◇

「ファンは部外者」

そのことに気づくきっかけは、折々にあった。

サヨナラゲームでぴょんぴょん跳ねながら抱き合う輪に、私は入れない。
トスバッティングのお手伝いもユニフォームの洗濯もすることができない。
こんなに好きなのに、勝手に結婚していくっ!笑

何より私は、野球のことを何も知らない。野球をしたこともない。野球を何も、語れない。

部外者である以上、「結果がすべて」「当たり前」「仕方ない」なんていうのは、傲慢な干渉だ。
私はそう思って、球団のあらゆる出来事を、ただ外から見つめるだけだ。

イノーアさん。
私があなたの野球人生にできることは、何もありません。

だから、お別れです。

私の好きな、スワローズのユニフォームを着てくれた、マイボーイ。さようなら。いつか。いつかまた、会いましょう。そして、

東京ヤクルトスワローズのこと、忘れないでね。神宮のことも、我々ヤクルトファンのことも。
いのあさん。愛を込めて。

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