然らば、その日まで
ヤクルト球団職員からの、突然の退職報告だった。
湊谷智将(みなとや とものぶ)。
株式会社ヤクルト球団営業部に在籍している、球団職員だ。
選手が引退後、そのまま球団に残って職員として働くことはあるが、彼はプロ野球選手ではない。
立教大学野球部出身。ポジションは、主務だった。*1
大学卒業後、メガバンクに就職。その後、主務の経験を生かせるスポーツ業界に転職した。
営業部配属前の二軍マネージャー時代、コロナ禍で始まった『SWALLOWS ファン感謝 WEEK』のYouTubeで、二軍施設を紹介し、その存在を知られることになった。*2
また、自らの発案で始めたある取り組みがあった。
それが、「観戦一言メモ」だ。*3
イースタン・リーグ公式戦のメンバー表の余白に、二軍施設のヤクルトスワローズ戸田寮やヤクルト戸田球場の選手たちの様子を書き加え、来場者に配布したのだ。
ヤクルトは、私が好きになった昭和の時代から「ファミリー球団」と言われる、まさにアットホームな雰囲気の球団だった。
そしてそれは、ヤクルトファンプライドでもある。
そんな球団からの、手書きの温かみあるショートメッセージ。「ヤクルトファンでよかった」と思う瞬間でもあった。
ヤクルトスワローズというチームの特長を生かしたアイデアと企画力、そして、気負いなく良いと思ったことをやってみるという柔軟性にも感動をおぼえた。
もう一つ、選手のかっこよさを伝えるために始めたのが、カメラ。
ファームの選手を撮影するために、SONYの一眼レフを購入し、解説をするまでになった。*4
カメラは、沼だ。バズーカを引っ提げ神宮日参する私が言うのだから間違いない。
ひとつ、気がかりなことがある。
彼は、ライオンズジュニア出身の野球選手だ。*5
2006年、監督は高木大成。Instagramには、再会のツーショットも上がった。
本当は、ライオンズの職員になりたかったのではないか。
ヤクルトのジャージを着て、ヤクルトの若い選手たちと過ごした日々をどう受け止めていたのか、一介のファンには知る由もない。
ただ今は、野球に囲まれた日々が、輝きに満ちた思い出となることを願うばかりだ。
今後は、IT企業へ転職し、ここ『note』でこれまでのことを書き綴るとのこと。
とてもさみしいけれど、新天地でのご活躍をお祈りいたします。
そして、お互い、野球ファンであり続けましょう。
私も負けないように、野球を書き綴ります。
いつか、野球場で会えるその日まで、
然らば!
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*2
*3
*4
*5
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