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山田大樹は神宮を明るく照らしてくれた

山田大樹さんが、引退します。

私は、ソフトバンクの山田大樹を知りません。ヤクルトに来るとなって初めて聞いた名前でした。
育成契約で入団した当初、三桁の背番号は自分ひとり。今のホークスでは考えられません。そんな時代もあったのですね。

苦しかった育成時代と、それが報われた王貞治会長との出会い。支配下登録会見に御大自ら同席してくださるなんて。そして、与えられた背番号は、金田正一の「34」。福岡の夜空に輝く育成の星が、ひろきさんでした。

ひろきさんの人となりを知ったのは、球団公式アプリでの「同級生座談会」。88年同級生5人の飾らない会話の中で、ひろきさんは静かな笑顔で人の話を聞く、温和な人でした。地味でおとなしいヤクルトの選手を見て育った私にとって、「ヤクルトの選手っぽい」ひろきさんは、心ときめく野球選手でした。

私は、野球選手の広い背中が大好きで、背中は縦横の比率も面積も「私の背中の理想形」の、ひろきさんの背中が大好きでした。

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2019年7月8日水曜日。ひろきさんのヤクルト移籍後初勝利の神宮に、私は居合わせることができました。前年の2018年は、0勝。2位躍進の風景にいなかったひろきさんが、大型連敗で苦しく暗い神宮を明るく照らしてくれました。

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2020年、無観客試合の2試合を最後に、ひろきさんは神宮からいなくなりました。私は昨シーズン、神宮のひろきさんを撮っていません。開幕延期から始まり、ばたばたと過ぎ去ったシーズンを最後に、ひろきさんはユニフォームを脱ぐことになりました。

ひとつ、救いに感じていることがあります。ひろきさんは今オフ、インスタグラムを始めました。これからも、ひろきさんの近況を知ることができるかもしれません。

そして、ひろきさんにお子さんが二人いることを初めて知りました。下のお子さんは10月に生まれたばかり。その赤ちゃんを抱いて、ヤクルトのユニフォームを着て家族写真に納まったひろきさんの姿に、ほっとしたのです。

記念の写真に、東京ヤクルトスワローズがあること。

14年間のうち、たった3年の付き合いでした。苦しい育成時代の記憶も、王会長のようなビッグネームとの思い出もないヤクルトが、ひろきさんの心の中にあることが、今はありがたいのです。

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ありがとう。ひろきさん。私は、山田大樹という野球選手を応燕できて幸せでした。ひろきさんのいる神宮は、とっても楽しかったです。

神宮を明るく照らしてくれたひろきさん。ひろきさんのこれからの人生が、明るく照らされることを、心から祈っています。

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