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私がジョイと呼ぶ青年の話 ○D×S● 7回戦

吉田大喜をなんと呼ぶか。正月からそんなことを真剣に考える中年女性をどう思うか。しかし、重要な問題なのだ。

すでに我がチームには、吉田大成と渡邉大樹がいる。「よしだ」と呼べば二人振り返り、「だいき」と呼べば二人振り返るという非常事態。上も下もカブる。重大事件だ!
しかし、吉田大成は、“よしだカブり”がないにもかかわらず、昨年の入団時から「たいせいさん」と呼ばれている。ならば「よしだ」と呼んでも構わないことにはなる。若いから「よしだくん」か。せっかくファミリーになったのに、少し距離を感じて、さみしい。

しかし、「だいき」は一筋縄ではいかない。渡邉大樹は完全に「だいき」と呼んでしまっている。今更「ナベちゃん」などと呼ぶことはできない。同い年の22歳。「だいき」と呼ぶに似つかわしいかわいらしさが両方ともある。これは覚悟をもって「だいき」と呼ぶべきか。投手班と野手班では行動が違うから、だいきツーショットはないと想定し、思い切って「だいき」と呼んでしまえばいいではないか。

そんなとき、オープン戦の吉田大成打撃覚醒から、「吉田大成功=吉田サクセス」というあだ名がSNS上で拡散した。そしてその対照として、もう一人の吉田、吉田大喜に「吉田大喜び=吉田ジョイ」というあだ名が付けられた。

ジョイか。いいじゃん。呼びやすいし、明るい。

先週の、神宮有観客試合初戦。祝日だった金曜日は、余裕を持って神宮に足を運ぶことができた。絵画館駐車場から、バッティングセンター、日の丸球場、つば九郎店の前を抜けて、神宮外苑の道に出る。
見慣れた光景。でも懐かしい。昂ぶる気持ちを抑えるのに必死だった。
信号が変わり、歩き出したところで、室内練習場から私が歩く横断歩道に向かってくる選手がいた。大きなマスクをしていても、大きな瞳ですぐ分かった。

吉田大喜だった。

信号は青。でも、渡る気配なく歩道沿いに小走りに歩く、ジョイ。神宮球場とは逆方向だ。どこに行くんだ?
いや、渡るんだ。
ジョイは、横断歩道を渡るために、私が立っていた信号まで向かっていた。
横断歩道は、外苑の2車線を横切ったあと、外苑を抜ける道路にもう1本ある。直角に2本渡らなければ、神宮球場へは行けない。
その手前を渡れば距離は省略できる。でも遠回りになる横断歩道まで移動していたのだった。
昨年、他球団の新人選手が「横断歩道の手前で渡っていた」と通報があったという小さなニュースを思い出す。野球選手は大変だ。どんな場面でも人の目があるのだ。
それでも、球団の教育どおり行動できる吉田大喜は、やはり健全な青年なのだと思った。

私は、吉田大喜のプロコレユニフォームを着ていた。しかし望遠レンズを入れたリュックに背番号は隠れている。こういうときにアピールできないとは。
「ジョイ!頑張って!」そんな言葉も、推しを目の前にした緊張感と、登板前のナーバスな選手に声をかけてはいけないという遠慮で、懐深くしまい込む。しまったカメラを急いで構えたときには、ジョイの背中は遠かった。

▲球場に向かうジョイ(まめ)

吉田大喜の勝ちは、3戦連続つかなかった。勝利投手の権利を持って降板した後の逆転だった。これがチームスポーツというものだ。仕方がないと自分に言い聞かせながら、やはり悔しい。ジョイの初勝利を早く祝いたいという気持ちが頭をもたげる。

▲R2.7.24 神宮初球ジョイ

悔しいな。だけど、塩見とむねがホームランを打った。ジョイを支える人がチームにいること。ジョイが支えるチームであること。そのチームを応燕することが、今の私の「大喜び」なんだ。

ジョイ!来週また、神宮で会おう。

R2.7.31 fri.
D 5-3 S
ナゴヤドーム

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