誰の背中を見て育ってきたのか

「親の背を見て子は育つ」ということわざがある。
普段の親の振る舞いを見て、子はそれを常識だと思う。そしてそれは生活習慣になる。習慣化すれば、玄関を一歩出たとき、ひょんなことから表に出る。

そこで、日常の常識が社会の非常識であると気づくこともある。

私がファイターズをしっかり見始めて、今年で4年目。だから、中田翔が誰の背中を見て育って来たのか、私は知らない。

ファイターズは、高卒ルーキーを育成するスタイルの、若いチームだ。20代の選手が大半を占め、野手最年長が32歳の中田という事実が、ファイターズの若さを表している。
中田は、ファイターズという家庭で、背中を見せる親なのだ。

ただ、その「親」の立場になる前に、背中を見る子ども時代があったはずだ。キャリアラダーというはしごをのぼって、今があるはずだ。
中田が見てきた背中は、今の中田に何も残さなかったのか?

すべてが完璧な人間はいない。いい大人であっても、少しの気の緩みや苛立ちで手を抜くこともある。
しかし、そこで待っているのは、「大人なんだから」のひとことだけ。
はしごをのぼる途中にかけられる、時に厳しい励ましの言葉は、ない。

つくづく、叱られなくなる年齢になったときに人の真価が問われるのだと、身震いする。

私がファイターズファンになったと同時にキャプテンになった中田のキャプテンシーに触れる場面は、時折あった。
中田は、チームとチームメイトをしっかり見ていたと思う。そして、チームメイトを救うため、野球をしていたように見えた。

たとえユニフォームからキャプテンマークが消えても、その任は継続されるものではなかったのか。

背中を見せる親のいないファイターズが、征くべき先の道を見失わないことを願っている。

その道の先にあるのは「優勝」だということすら、今のファイターズには見えていないように感じるのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?