由規はいつも、心の中にいる

由規の去就が決まった。

埼玉武蔵ヒートベアーズで、野球選手を続ける。由規が望んだ現役続行が叶い、ファンとして安堵している。

2019年東京ヤクルトスワローズファン感謝DAY。選手がスタンドからお題に沿った人を連れてくる「借り人競争」が行われた。

お題「選手と同じ名前の人」でグラウンドに降りたファンが「さとうよしのりです」と言ったときの、あの神宮の盛り上がりには笑った!
「11 YOSHINORI」のユニフォームを着た彼が、コーナーが終わり自席に戻る時、スタンドの全員が拍手喝采で出迎えた。本人じゃないのに、だ。笑
その前の「なかざわあきよし」さんは、中澤雅人のユニフォームの下に、「14 AKIYOSHI」ユニを着ていた。
今はもういない由規と秋吉亮で盛り上がる、ヤクルトのファン感。神宮はいつも、居心地のいい場所だ。

由規が東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍した2019年、7月19日神宮ナイターで行われたファーム戦に、由規が登板した。
照明が炊かれた夜の神宮に、由規の登場曲、ONE OK ROCK「C.h.a.o.s.m.y.t.h」が流れる。ビジターの選手の登場曲が流れることは、まずない。しかし、その場にいたヤクルトファンは、ワンオクが流れる神宮と、由規のいるマウンドの風景を、普通に受け入れ、普通に泣いていた。
当時の二軍監督は、三木肇。由規の復帰登板に喜ぶヤクルトファンへ向けて、「よかったっしょ?由規」とニンマリしていたそうだ。

ヤクルトファンへ向けたサービスだったのだろうか。しかし私は、神宮の、ヤクルト球団の意志のように感じた。

由規が退団するとき、球団は球団職員としてのポストを用意していた。しかし、現役を続けたい由規は、退団していった。
選手としては、もう契約できない。それでも、球団には残したい。
選手のしたいことと球団の構想がすり合わないことは、往々にしてある。それでも、「由規を手放したくない」というヤクルト球団の意志を知ることができたことは、由規を失うヤクルトファンの、唯一の救いだった。

2007年高校生ドラフト1位で入団した、由規。競合によるくじ引きで由規を引き寄せたのは、当時の指揮官・古田敦也だった。それから12年後の2019年、同じく高校生のスーパールーキー、奥川恭伸を1位競合で引き当てたのも、2007年と同じ亥年。どうやら、「本当のガッツポーズ」を見られるのは、12年に1回らしい。次の亥年は、2031(令和13)年だ。笑

由規は、ドラフト指名会見で泣き出した。ヤクルトファンは驚き、一気に心を持っていかれた。球の速いスーパー高校生は、家族思いで泣き虫な、素直な少年だった。

由規のヤクルト時代は、苦しいことの方が多かったと思う。怪我のリハビリで長期離脱を余儀なくされた、由規。
ヤクルトの背番号11は、スーパー高校生ピッチャーが付ける背番号。その宿命を呪った。その間、育成契約となったときの背番号が「11」の二乗、「121」だったことは、戻ってこいという球団の意思表示だと信じて、苦しい時期も、息をのむように由規を見守ってきた。

童顔だが、神宮ですれ違うとその体の大きさに驚く。笑顔がかわいくて、歌がうまい!あとから入団してきた弟の貴規も歌がうまかった。きっと、東北高校で甲子園経験のある長兄・史規もうまいのだろう。

史規と貴規は、東北福祉大学OBのクラブチーム「TFUクラブ」で野球を続けている。由規が自由契約になった後、トライアウトまでの練習に付き合った。

由規の復活登板には、地元・仙台の球場に一家で駆けつけ、全員で泣いたそうだ。仲の良い兄弟、変わらぬ仲良し家族だった。

そんな由規を見つめてきた歴史が、ヤクルトファンにはある。だから、由規がどこにいても、ずっと応燕していられる。
早速、「ヒートベアーズ見に行く!」「独立リーグデビューだ」というコメントであふれるSNS界隈で、私はやはり思うのだ。

由規はいつも、心の中にいる。

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