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僕らのカープ 私のヤクルト ●C×S○4回戦

2-9で迎えた8回裏、マウンドには継投の寺島成輝が上がる。寺島は、満塁でランナーを背負い、2点を返される。0回2/3で降板。せめて投げ切らせたかった。
後続の梅野雄吾のピッチング練習の間、マツダスタジアムには「燃える赤ヘル僕らのカープ」が流れ、観客がメガホンを叩きながら歌っている。

私は、ズムスタのこの光景が好きだ。気づいたのはいつだろう。超満員のズムスタでは、様々な音にかき消され、遠くに流れるこの歌の歌詞もほとんど聞き取れない。
ある日、気づく。男声に加わった子どもの歌声とともに聞こえたのは、
「燃える赤ヘル 僕らのカープ」
というセンテンスだった。
それを、いい大人、いや、いいおじさん、いい年寄りが、メガホンを叩きながら、高らかに歌い上げている。

私がこどものころ、カープは強いイメージがあった。広島からやってくる赤ヘル軍団は、大きな体にパンチパーマ。ヤクルトの小柄な選手たちと違って、威圧感満載の、恐怖の一団だった。

広島の人たちにとって、我が街から全国に広島の看板を背負って出て行き戦うカープの選手は、誇りだったに違いない。
広島の子どもたちは、それは自慢だっただろう。

見ろ!かっこいいだろ?これが僕らのカープなんだ。

ズムスタで熱唱するいい大人が、そう胸を張るこどもの姿に見えて、ついぐっとくる。

そしてそれは、私の姿でもあった。

昭和の小学生だった私が、必死で覚えた「飛び出せヤクルトスワローズ」。カープのような子供向けの歌ではなく、軍歌調で歌詞も“漢”の世界だ。

男が大地の 花と咲く

女子小学生に、何が分かるというのだ。でも、私は必死だった。必死に覚えて、ずっと歌っていた。ヤクルトの選手は、すごいんだ。みんな真面目で、コツコツ野球を続ける、強い人たちなんだ。万年Bクラスでも、ウチの選手は、そういうカッコいい人たちなんだ!
いつでもそう胸を張っていたから、弱かろうが何だろうが、平気だった。

自分に当てはめれば、分かる。広島という球団が、どれだけカープファンの心の真ん中にあるか。
それが証拠に、ズムスタのカープ大人は、この歌を歌っているときだけ、カープ少年少女に戻っているのだ。

私こそ、神宮ではこどもでいられる。
「飛び出せヤクルトスワローズ」は、ズムスタのように神宮では流されない。勝ちゲームで、燕軍団の先導で歌われる二次会に、内野から一人ひっそり参加する。今でも当然、歌える。こどものころの反復練習は、何十年後に生きるのだ、こどもたちよ。

昨季は、一緒に歌っているベンチの村上宗隆がテレビに映り、ヤクルトファンの間で話題になった。
時を経て、村上宗隆と一緒に歌う、飛び出せヤクルトスワローズ。どうかこれを歌う村上宗隆にとってもまた、胸を張れる、自慢の球団であってほしい。そう強く思う。

神宮が恋しい。早よ戻ってこい。なるき。あなたは「私のヤクルト」なのだから。

R2.7.18 sat.
C 4-9 S
マツダスタジアム

ライアンすわほーエスキーすわほー。いい試合だった。

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