ラミちゃんを讃えて ●S×DB○16回戦
撮れない。肩身が狭い。分かってはいるが、また来てしまったのだ。3塁側ブルペンシート。
バッターボックスは、3塁コーチャーが遮る。ファーストのぐっちは、3塁塁審が遮る。1塁側ブルペンシートは、1塁塁審が遮る。
できあがった写真は、誰かに遮られてばっかり!なのだ。
ブルペンフォンを取る川村丈夫ピッチングコーチ。山崎康晃のブルペンボールボーイ。
ライト。青木宣親の声。
失敗した。せめて紺のクルーユニで色味を合わせるんだった。黄緑の燕パワーユニで敵陣最前列に陣取るヤクルトおばさんは、神経が図太い。
試合が終わり、ヒーローインタビューまでの間、向こうから拍手が沸き起こる。ラミレス監督が、神宮ロードを歩いて帰還するところだった。
手を振りながら、帰るラミちゃん。
ラミちゃんは、ヤクルトの選手だった。ラミちゃんがいて、2001年は優勝できた。ヤクルト球団創立50周年の「Swallows DREAM GAME」では、ビデオメッセージを寄せた。
当時の指揮官、若松勉との逸話、「アイーン」誕生秘話を語る、ラミちゃん。20年も前の話。それだけの時が流れても、ラミちゃんはヤクルトでの思い出を語っていた。
高津臣吾が「ラミちゃん」と呼びかけ、つば九郎が打撃練習中がっつり話しかけに行く。神宮は、いつもラミちゃんを歓迎している。
現役時代とは逆方向、3塁側の神宮ロードを歩く、ラミちゃん。手を振りながら、拍手に応える。
私の前に来た。私は、手を振る。青いベイユニの中、ひとり真緑の私。それでも私は、ラミちゃんに手を振った。
ラミちゃんと目が合う。手を振る。ラミちゃんは私に向かって、少し長く、手を振ってくれた。
私は、一礼した。ラミちゃんは、笑顔で応えた。
私は、ラミちゃんを讃えたい。敵陣にぽつりといる燕軍の私を救ってくれた、心優しき敵将を、讃えたい。孤独の中にいる指揮官は、選手に後押しされ、今日、勝利監督になった。よかったね、ラミちゃん。
ホントは、人ん家のこと言ってる場合じゃないんだよ、ラミちゃん。今日のまけほは捧げるから、明日また、よろしくね。
R2.9.15 tue.
DB 8-3 S
明治神宮野球場
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