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「神様は見逃してくれなかった」山田哲人に報いるために私ができること ●S×B○日本シリーズ2021第5戦

私は、『オリンピックコンサート』鑑賞を年1回の年中行事としている。
オリンピック映像を見ながらクラシック音楽を聞く、ムービーコンサートだ。
超人技を繰り出すスポーツマンの肉体は美しい。栄光に満ちたガッツポーズ、天を仰ぐ悔しさにまみれた表情、唇をかみしめ俯く姿。4年に一度のその瞬間にすべてを捧げた、飾らない人体と顔が映し出される。
師弟の絆、ライバルとの物語、政治的背景や不穏な事件。スポーツの歴史と進化を時系列で追う貴重映像と、クラシック音楽の荘厳なメロディーが調和する、まさに“血湧き肉躍る”クラシックコンサートだ。

2020年1月11日土曜日。コロナ禍で中止になる前のオリンピックコンサートは、池袋・東京芸術劇場で開かれた。
コンサートの途中には、元オリンピアンのトークコーナーがある。
この日のゲストは、シンクロナイズドスイミング(現・アーティスティックスイミング)の小谷実可子、マラソンの有森裕子、競泳の星奈津美の3名だった。均整の取れた身体、ハキハキとした語り口、明るい笑顔。健康的で美しい女性たちだった。

その中で、小谷実可子が「涙の理由」のエピソードを語った。

1992年8月7日。バルセロナ五輪のシンクロナイズドスイミング・デュエット決勝。メンバーから漏れた小谷は、後輩・奥野史子と高山亜樹の演技をプールサイドから観戦していた。
演技が終わり、涙を流しながら拍手をする小谷の姿をカメラは捉えた。その涙は一見、日本ペアの銅メダル獲得を祝福する嬉し涙に見えた。しかし真実は、最終選考漏れした悔し涙だった。

「悔しくて泣いたのはもちろんそうですけど、実はそのとき、演技に不安があったんです。不安を抱えたままプールに入る自分を、神様は見逃してはくれないんだなぁ、って思ったんです」

不安があるまま、オリンピックのような大舞台に出るわけにはいかない。いや、「出させるわけにはいかない」と神様は判断し、小谷を選考から外した。

不完全な小谷を、神様は見逃さなかったというのだ。

そんなこと、あるのか。極めて科学的に身体と技術を鍛錬した人が、神様という言葉を使うことに驚きながらも、でもこれが、でき得るすべての努力をし尽くしたアスリートを左右する“気持ち”というものなのだろうと、胸に迫るものを感じた。

◇◆◇

「お天道様は見ている」と、子どものころよく言われたものだ。今の子育てで使われる言葉ではないように思うが、正直に生きなさいという教訓だと、そう心に留めている。

今日勝てば、日本一だ。
今日勝てば、分が悪い敵地での試合がなくなる。
今日勝てば、11月の寒気の下で野球をしなくて済む。
今日勝てば、高津臣吾の誕生日を最高の形で祝福できる。
今日勝てば、土曜日の第6戦のチケットを買えず現地にいない私がテレビの前で臍を噛むこともない。
今日勝てば、エキサイティングシートからネットを気にすることなくチャンピオンフラッグを持って場内を練り歩くチームスワローズを撮れる。
今日勝てば。今日勝てば。

今日勝てば。

そんな、まだ見ぬ未来に浮かれる私を、野球の神様は見逃さなかった。

選手たちは、いつものように肩を組み、円陣を組んだ。隙のない野球をして、勝つ。それを肝に銘じ、最後まで戦った選手の足を、私が引っ張ってしまった。

今日の負けは、そうとしか思えない。それくらい、自身の驕り高ぶりに絶望している。

私は、決して諦めず同点スリーランを放った、ガッツポーズの山田哲人キャプテンに報いるために、何ができるだろう。
お天道様が見ている。せめて謙虚に、生きていこう。

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今も震えが止まらない。悔しい。

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