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平井諒 ヒカリへ

2019年8月21日水曜日。マツダスタジアムの対広島戦。
先発・石川雅規は5回裏、2点リードで迎えたこの回、同点とされる。

勝利投手の権利を得るには、5回以上をリードで終えなければならない。この回を抑えたとしても、ここでマウンドを降りれば勝ちはつかない。
しかし、石川の球数はどんどん増えていく。この状況で続投させてもらえるとは思えない。

あと1アウトまで迫りながら、ストライクが入らない。フォアボールを出したところで、交代となった。

代わってマウンドに上がったのは、平井諒。投じた初球を内野ゴロで抑え、3アウトチェンジ。たった1球の燕護だった。この1球のために、肩を作り、マウンドに上がり、緊張のピークを乗り越える。それが中継ぎという仕事だ。石川は、その1球が遠かった。

平井をこんなに見たシーズンは久しぶりだったと思う。いつも投げる平井を、神宮でたくさん撮った。
怪我をして、手術をし、育成契約も経験した、平井。平井が神宮のマウンドで存在感を示すたび、「もう大丈夫」と胸をなで下ろした。待った甲斐があった。

平井の登場曲は、miwa「ヒカリへ」。ファンに「昭和のムービースター」と言わしめたシブい顔立ちとは真逆の選曲だ。
しかし、ヤクルトファンは知っていた。この歌が、平井を支え、勇気づけたことを。

平井が再び支配下登録となり、神宮にこの曲が鳴り響いたときに明かされた、「ヒカリへ」との出会い。
運命、奇跡。抽象的だが、不安と孤独を抱えた平井にとって、すがりたくなる言葉だった。
そして、この曲に報いるべく、復活したその暁には、この曲でマウンドに向かう。そう決めて、リハビリの日々を過ごしたのだ。

野球選手にとって、肩にメスを入れるという苦渋の決断と、それを乗り越える気力を支えてくれた「ヒカリへ」。それは、ヤクルトファンにとっても、大切な曲だった。

2020年。一度も一軍に呼ばれることなく自由契約となった平井の去就は、年が明けた3月1日にようやく明かされた。7人の戦力外ピッチャーのうち、最後まで進路が決まっていなかった平井の朗報に、「これで全員」と安堵した。

しかし、安堵するのもこの一瞬まで。愛媛マンダリンパイレーツの練習生としての参加は、入団とは当然違う。これから、平井の実力を認めてもらい、契約にこぎつけないと、プロ野球選手にはなれないのだ。

高校時代を過ごした愛媛でスタートする新たなキャリアを、私はしっかり見つめ、追っていく。ヤクルトファンとは、そういうモンだ。四国には、いつ行こうか。遠征をどう組み込むか。頭を抱えている。

まずは、元気で!

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