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青木宣親、その人

私は、青木宣親の渡米前を思い出せない。

もちろん覚えてはいる。首位打者、最多安打、盗塁王。新人王に輝き、侍ジャパンのユニフォームに袖を通して世界一になり、「ヤクルトの顔」が付ける背番号「1」を継承した。

だから、ポスティングシステムでMLBに移籍が決まった時も、当たり前のようにアメリカに送り出した。メジャーのスカウトの評価は、「完璧なリードオフマン」。失うさみしさより誇らしさが勝る、そんな移籍だった。

青木宣親という野球選手を、覚えてはいる。だがそれは、野球で活躍した、青木宣親の話。
2018年にヤクルトに帰ってきたときの青木宣親と、過去の青木宣親が同じであることの「答え合わせ」は、できなかった。

青木は頼れるベテランになっていた。二番打者として盤石な打線を築き上げ、交流戦最高勝率を機に、チームはリーグ2位になるまでの躍進を遂げた。

しかし、青木が帰ってきたことは、単にペナントを勝ち切る野球能が加わったことに留まらない。青木は、96敗という地獄を背負ったチームの空気を変えた。

実績も技術も十分なメジャーリーガーである青木は、以前のチームメイトもほぼいない中、若い選手に自分から歩み寄りコミュニケーションを取った。いつも大きな声を出し、仲間を鼓舞した。気のゆるみがあるプレーは厳しく指導した。

チームの士気が上がった。

勝利へ向かって、全員が同じ方向を向いている、明るく元気な野球チーム。それが、青木宣親が作った、今の東京ヤクルトスワローズだ。

そして私は、青木宣親とこのチームで優勝したい!

R3.5.26 wed.
S 4-3 F セ・パ交流戦
明治神宮野球場

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青木宣親選手 日米通算2500安打到達 おめでとうございます。
あなたを優勝させるためにファンができることは、何でもします。だから、

絶対優勝しましょうね。

365日の第一歩が、青木宣親だったこと。そして今日を迎えたことは、偶然じゃないと思いたい。

今日で、note連続投稿365日目を迎えました。
根気強くお読みくださった皆様に感謝いたします。

ありがとうございました。

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