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守って攻めろ 村上宗隆が自分を超えるとき

村上宗隆に驚くのは、その「柔軟性」、のはずだった。
もちろん体の、という意味もある。
1月の自主トレは、チームのリーダー・青木宣親からストレッチの大切さを学び、怪我をしない体づくりをしている。
それだけでなく、野球への考え、その探究心に柔軟性を感じる印象がある、それが村上宗隆だった。

6年ぶりのセ・リーグ優勝と日本一で飾った21年は、39本で本塁打王に輝き、セ・リーグMVPを獲得した。
夏には野球日本代表として東京五輪に出場し、日本史上初の金メダルという偉業も成し遂げている。
続く22年、プロ野球史上初の5打席連続本塁打、日本選手年間最多の56本塁打と、リーグ2連覇の立役者としてチームを牽引し、史上最年少22歳で令和初の三冠王となった。
新語・流行語大賞では「村神様」が年間大賞を受賞し、紅白歌合戦の審査員を務、まさに球界を超え「村上宗隆」を世に知らしめた年だった。

とにかく、進化。前進あるのみの村上宗隆は、将来像をメジャーリーガーに設定し、球団もファンもそれを快く容認している。
明るい未来しか見えない村上宗隆は、23年、笑顔を失った。

23年シーズン前には、第5回WBCの開催があった。村上も当然侍ジャパンに召集されたが、予選を勝ち抜く中でなかなか調子が上がらなかった。
それでも危なげなく予選1位で決勝トーナメントに進出し、準決勝を迎えたとき、指揮官・栗山英樹は村上を4番から5番に打順を変えた。
村上に対するバッシングの声が日に日に強くなる中の「降格」。
しかし、準決勝のメキシコ戦、5対4のビハインドで迎えた9回、5番村上のセンター前ヒットが2点タイムリーとなり、逆転サヨナラ勝ちを収めた。

振り返れば、22年の56本塁打は、55本塁打から約半月の時間を要した。
新記録のあと1本も、シーズン最終戦という劇的な場面だった。
さすがヒーロー。さすが三冠王。こういうときこそ力を発揮するのが、村神様。
そういう星の下に生まれた、スター。それが村上宗隆。
そう信じて迎えた昨季、ヤクルトは3連覇とはほど遠いところで戦い、村上も無冠に終わった。

村上の不調は、WBCの出場に理由がある。
間近に見る、メジャーリーガーたち。まだボストンレッドソックスに帯同していなかったが、村上に代わって侍ジャパンの4番に座った吉田正尚。
指導者的立場としてもチームを牽引したダルビッシュ有。
そして、二刀流。WBCをトレンドにした大谷翔平。
彼らの取り組みを取り入れたが、そのことで自身のスタイルを見失う結果になってしまったのだ。

村上が、進化を遂げるための、変化。
村上自身の野球の取り組み方で、得意なことだったはずだ。
しかし、それが上手くいかなかったのが、昨季ということだった。

良かれと思って取り組んだことが裏目に出ることなど、日常に転がっている。
ましてや、神と崇められながらも、まだ23歳の若者だということを、世間は忘れている。
村上は、自身の野球を見失い、ファンから冷たい視線を浴び、試練のシーズンを過ごした。

無冠、ではあるが、実はこんな記録が残ってしまった。
三塁手の失策数、第1位。*2
神宮で、その失策は何度も見ていた。無事にサードゴロをさばき、一塁への送球を一塁手オスナが捕球した瞬間の、球場全体を包み込む安堵の空気。
村上の守備を、信じられなくなっていた。

2月1日。球春到来のANA BALL PARK 浦添は、春を通り越し、夏の陽射しかと見まごう暑さだった。
東京ヤクルトスワローズ春季キャンプ初日。
サブグラウンドで行われた午後の特守に、村上宗隆の姿があった。

2024.2.1 ANAてだこサブグラウンド

その前のランチ特打では、何本もの柵越えにスタンドから拍手が沸き起こっていた。
その村上が次に目指すのは、失策王返上。
キャンプ初日から、進化するための変化を求める決意が伝わってくる。

2月2日の今日も、特守は行われた。
また見ぬ村上宗隆に、今シーズンは会えるだろうか。
今の自分を超えろ! 守って攻めろ! 村上宗隆!

あ。

2024.2.2 ANAてだこサブグラウンド

村上宗隆さん。24歳のお誕生日おめでとうございます。


*1


*2


……祝福のコラムとは思えんな笑。でも、村上宗隆の特守に感動したもんだからさ。


過去の2月2日記念ブログはコチラ↓

23歳


22歳


21歳


20歳

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