メンタルコーチ 白井一幸

久々に目にしたのだ。「白井一幸」の4文字を。

日ハム流?ハムは北海道でカーリングチームまで手がけたのか。そう思って記事を読み進めると、女子カーリングチーム・北海道銀行フォルティウスのメンタルコーチとして、元北海道日本ハムファイターズコーチ・白井一幸が招聘されていた。

日本ハムファイターズの選手で、北海道日本ハムファイターズのコーチだった白井一幸を、私がファイターズファンとして追ったことはない。
ファイターズに興味を持ち、情報収集の近道としてファンクラブに入ろうと決意した2017年秋。白井一幸は退団した。

ヤクルトのことしか見てこなかった私でも、白井一幸のことは知っていた。セカンドの名手。職人というイメージだ。いや、セカンドは職人が就くポジションだと思っている。

私は中2のとき、「セカンドはショートよりも難しい」という仮説を立てた。どういうきっかけだったのか、まったく思い出せない。「セカンド=篠塚利夫」からきているような気もするが、分からない。
しかもこのマイオピニオンは、これまで長年生きてきた中で、誰からも賛同されたことがない。
私自身、野球をしたことがないから、この仮説を証明できず、おばさんになってしまった。

10代の多感な時期に、ド派手なホームランバッターではなく、ショートの影に隠れたセカンドを熱く見つめてきた私だからこそ、試合を見たこともないパ・リーグの白井一幸を知っていたのだと思う。

令和3年1月16日、私は過去のとある新聞記事を見つけるため、国立国会図書館の新聞資料室にいた。
マイクロフィルムに月ごとに収められた新聞記事をひたすら映し、お目当ての記事を探す。午後はもう、眠気との闘いだ。
閲覧していたのは、1992年4月のスポーツ紙。時節柄、「パ・リーグ開幕」という一面広告があった。大きなフラッグを持つ、6球団の代表選手たち。日本ハムファイターズは、白井一幸だった。

白羽の矢が立った、白井一幸。ハムを代表する選手だったのかと、セカンド好きとして誇らしかった。

メンタルコーチという肩書きを持つコーチは、プロ野球チームではいない。白井一幸も、退団当時の肩書きは「内野守備走塁コーチ兼作戦担当」だった。しかし、野球解説者になってからコーチングに関する書籍を出版している。
選手、コーチとキャリアを積んできた野球選手は、メンタルコーチングの重要性を誰より知っているのだと思う。

北海道銀行フォルティウスは、この試合で負けると、2022北京オリンピックへの道が遠ざかる、崖っぷちの闘いだった。
崖っぷちという状況に“耐えうる”のか、“打ち勝つ”のか。どんな表現も陳腐に感じる極限の緊張感でベストパフォーマンスを発揮するために、どうメンタルを保つか。
白井一幸のつくったカーリングチームは、平昌オリンピック銅メダルのロコ・ソラーレを倒す、強いチームだった。

野球界は、メンタルコーチ、何故いないの?

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