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恋愛だけがすべてじゃない。

夢だけじゃ生きられない
恋愛だけが全てじゃない

全ての女子に送りたい曲。
スマイレージの「タチアガール」

なんだかんだ愚痴ってるみたいになってしまうけど
幸せだったことは書きたくなる気持ちはすごく分かる。

私も幸せだなって思う一日を過ごした日は
書いておきたい欲が高まる。

相棒に会った日のことは
たった1時間の間に詰め込まれた思い出も
一挙一動すべてが愛しいと思う感情も
全部記録しておきたいとも思う。

ふとあんなこともあったな…って思い出すとき、
ちゃんと書いておけばよかったと思う。

誰も聞きたくはないだろうけど、
AVもセックスもオナニーも
私自身はそれほど特別なことだという感覚ではなく、
相棒とのことに関していえば、
呼吸をするように当たり前のことで、
セックスの一部始終を書いたとしても
私はそれほど恥ずかしいとも思わないものの、
セックスについては
2人ごとになるため、
相棒くんがそうだとは限らないので
自粛してるけど。笑

でも、世の中に見える場所に
置いておくからと言って
私は皆さんに「私、幸せなの」って
思ってもらいたいわけではないし、
それを斜めに評価する人がいたとしても
「人の幸せを喜べないなんて歪んでるよ」とも思わない。

誰かに評価されたいわけじゃなくて
ただ書いておきたい。

でも、それをどこの誰でも見ていい場所に書いているわけだし、
見るのはどうぞご自由に…という感覚でいるし、
書く以上は批判もあって仕方のないことだと思っている。

立場が違えば見方は変わるもので。

アンチというのは私に対して好意的な感情はなく、
言いにくいこともストレートに言って下さる方々なので、
伝える言葉の使い方に良し悪しはあるものの、
私の行動や言動が原因で不快な思いをした事実を
一切の気を遣わずに教えてくれる人たちだと思っているから
批判的な意見をも真摯に受け止めれば
自分自身の器を広げられるような気さえする。

身に覚えのないことを書かれると
いわしたろか!!ってちょっと思ってしまうけど。

意見と悪意は別物で
言ってもいないことを言われるのは
悪意だと思うから。

私はずっと、「恋愛できない子」というのが
自分のマイキャッチフレーズだと思っていたし、
今でも「人生で恋愛が一番楽しい」とは思っていない。

だからしみけんさんが講演会なんかで
「人生で一番楽しいのは恋愛」なんて言うのを聞くと、
私とは違う世界の人なんだろうなぁ…なんて思ってしまうのだけれど。

それがいいとか悪いとかではなくて
価値観の相違…。

むしろ恋愛なんて相手ありきのことだから
そんなんで一喜一憂する人生というのはめんどくさいし、
やらないでいいならやりたくないとさえ思っていて。

でもそういうことを言うと、
拗らせてるとか、
ひねくれてるとか言われるのが現世なんだな。

だから最初から「恋愛できない子でーす」って
開き直っていたかった…笑

しみけんさんだけじゃなく、
世間一般的に特に女の子は
恋愛して結婚して子供を産むのが
幸せの定義みたいで。

…もうそれだけで生きにくいよね。

”恋愛”なんていう幸せを自己完結できないのが
世間一般の幸せの基準になっていると。

好きになってもらうのは
奇跡みたいなものだと思っているし、
人を好きになることは
頑張ってできることではないし…

だから処女とか童貞が
劣等感を感じざるを得ない世の中なんだろうな。

でもいろんな集計結果で
初体験の平均年齢なんかを見てて思うけど
早い人もいれば遅い人もいて、
その間を取っているだけの数字の話だから
たとえ平均年齢を過ぎていたとして
個人で考えれば遅いだなんだって
気にすることはないと思っているし、
一番大事にすべきことは
自分がどうしたいかだよ…と思ってる。

AVイベントの質疑応答でよくある
30歳を超えた処女のお悩み相談で
「処女は捨てた方がいいんですか?」って言うような質問を
聞くたびにそう思う。

なんとなく世間一般的には
彼氏や彼女がいる人の方が優位で、
リア充という言葉が意味するように
”リアルが充実していること”=”主に彼氏や彼女がいる人たちのこと”
なんてのを見ると
恋愛しているかどうかが
リア充認定の基準になってるって
つまんねぇな…って思ったりもしてしまわなくもないのです。

みんなそれぞれの人生があって、
それぞれの考え方があって、
それぞれの楽しみがあって、
ちょっとその人の意見を悪く言えば、
アンチだとか僻みだって言われて
切り捨てられてしまうけれど、
例えばリアルの世界で
通りすがりのデブに
「この、ブタやろう」なんて現実世界で言う人は
ほとんどいないと思うんですよね。

私、クソデブですけど、
通りすがりの見ず知らずの人に
一度も言われたことないですもの。

ネット上で先に無意識に
不特定多数を傷つけているのは
多くの言葉を発信している側なんじゃないかなぁ…とも思っていて。

結局、本人にそのつもりはなくても
相手を納得させられるだけの言葉での表現や伝達ができていないのに、
一部の人にはちゃんと伝わっているから
それを理解できない方がおかしいという決めつけも
一種の偏見じゃないのかな...と思ってしまう。

ネット上にいるのは自分の味方ばかりではないし、
画面の向こうにいるアンチと呼ばれる人にだって心はあるし、
何の因果もないのに悪口を言いたくなる人なんて
ほんとは少数だと思うんだけど、
自分が傷つけていることは棚に上げて
自分だけが言われた時に被害者ぶるのも卑怯だよなぁ…と。

…そのせいか、未だにはあちゅうさんのことは
あんまり好きにはなれず。

自分で灯油をまいて炎上して
大火事になったとしても、
何の理由も言わずに慰めてあげられる
しみけんさんがいい人過ぎるんだなぁと思って。

波風を立たすことなく
優しいいい人でいる方が穏便とはいえ、
近しい人においては
悪いとこは悪いってはっきり伝えてくれる人にこそ
他の人にはない愛を感じてしまうけれど。

メンヘラはそういう”愛”は拒絶するもんね。

好きな人の好きな人を好きになれなくて
ごめんなさいという気持ちでずっといます。

言葉は自分の知らないところで独り歩きをして
自分の知らない誰かにも届くものだから、
不特定多数に発信するということは
賛否両論であることは当たり前のように大前提であるもので、
その覚悟もないのに発信をするから
彼女みたいになるんだろうなぁ…と思って。

私は自分が意図しないところで
自分の言葉で誰かを傷つけてしまった時、
それがちょっとしたかすり傷でも、
自分が思ってる以上に深い傷を負わせてしまったとしても、
その傷の程度は受け取った相手の心にしか分からないもので、
私自身には分からないし、
その人がそうだというならば
相手を傷つけてしまった事実も変わらない。

その原因に自分の言葉があるならば
申し訳ないとも思う方だから…。

してしまったことは仕方ないけれど
反省することは大切。。 

反省して振り返らないと
また同じことを繰り返すことになる。
だから何かと彼女は
炎上体質なんだろうな...と。

なんだかいろいろと根本的には
私とは違う世界の人たちだったんだな…という思いが
日に日に強くなっていたりはします。

昨日、相棒くんに会った時に
人混みが嫌いっていう話をしていて。
誰もが行きたがるであろうUSJにすら
あの子は全く興味がなくて…笑

俺、人混みの中で、
「なんなん?」って知らん奴に言われるんイヤやねん。
知らん奴に「なんなん?」って言われること自体が
俺からしたら「なんなん?」やん。
それなら誰もいないゆっくりできるとこがええやろ

そんな相棒をかわいいなぁ…って思いながら

やぱ、ラブホテル、最高やね…笑

…ていうところで落ち着いた。

誰にも邪魔されない、
2人だけの場所。

たまに部屋に入った後、
鍵も閉めず、ドア半開きで
フロントから電話かかってきて
二人でビビったころもあるけれど(笑)

ネットも同じだと思うんです。
知らない人に「なんなん?」て
意味不明な難癖言われたくなければ
どんな人がいるかも分からない
ネットの人ごみに向かって
何も言わなければいいだけの話なのに。

言いたいならば
それなりのリスクがあるのも仕方のないことなのに。

でも幸せを自己完結できず
相手の仕事への配慮もせず、
大切な人の夢を応援するどころか
AV男優引退を頭に過ぎらせてまで
幸せな日々を公開して
「幸せですね」って
誰かに言ってもらったり、
高評価されないと満たされなくて、
嫌なコメントには落ち込んでって
それはそれで可哀そうだよなぁ…とも思ったり。

私と相棒も似た者同士なのと同じように
きっとはあちゅうさんとしみけんさんも
そうなのかもしれないなぁ…と思うと複雑になりますね。

私は相棒との日々は決してキラキラはしていないし、
インスタ映えするようなことは何一つなく、
どちらかといえば不幸やろな…って思うことは
めちゃくちゃいっぱいあるけれど(笑)

それこそ誰に何を言われようが
私にとっての一番は相棒しかおらんなっていう
揺るがぬ信念を持っているので
アンチに何かを言われたとしても、
その言葉を真摯に受け止めたフリをしながらも
見てろよ、ボケ。って心の中で思うタイプ。
いつか、ぐぅの音も出ないようにしたろって
むしろ発信することは敵を味方に変えていく
ゲームのようなものだと思って
楽しんでしまうために
メンヘラ要素が皆無だから
真反対なんでしょうね。

屁理屈かもしれませんけど
彼女は彼女で相手のことを
よく知りもしないのに
アンチの悪口をいってるから
自分自身への悪口も
止むことがないんだろうな...と。

嫌なことを言われたとしても
それが事実であるならば
受け止めなくちゃいけないとも思うし
ホンマに不幸やな…って
笑っちゃうぐらい
いろんなことはあるけれど、
その中でも見過ごしがちな
当たり前の贅沢を
小さな幸せを
大切にしようと思いました。 

嫌なことがあった次の日でも
毎日太陽が昇るように
自分の気持ちをあげていかねばと。

自分の気持ちは自分で晴らそ。


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