カタカナの誤魔化し、まやかし

 時間を巻き戻し少しばかり復習、鎖国が終わり明治時代に異文化を取り入れる際に当然付随して英語を始め、ドイツ語、フランス語等外国語も入ってきた。現代とは異なり限られた狭い情報の中で行われた明治初期のあの翻訳の世界には頭が下がる。先人らのお蔭で今は苦労も無く、深い思い入れもなく使う「自由」liberty、「社会」society、その他諸々。単に言葉を輸入した訳ではない。日本には無かった概念を取り入れる為に成された翻訳にはどれほどの苦労があっただろう。
 「天主堂」の言葉が好きだ。
 私が長崎生まれの所為か、いやカトリック教徒だからなのか、何れにしても初めてこの「天主堂」の言葉に触れた時、幼いながらもこの三文字の的確さが理解出来た。「カテドラル」とは伝えることが違う。
 今はあまりに日本国外から入って来る言葉の絶対数が多く、翻訳が追い付かないまま(正確には翻訳をする意志はない様子)カタカナの氾濫状態は今後も続くのだろう。意味を知らないまま使うカタカナは増える。それでも、政治、役所関係の書類にカタカナが多いのは問題の筈。お歳を召された方々は理解できない英語のカタカナ化。意図的に、つまり意味(政策)を明確に伝えたくない為に敢えて誤魔化す、はぐらかしてのカタカナ濫用に映る。
 耳が痛い事柄も然りで、借金では耳に痛くても「ローン」であれば自分を誤魔化せる。「フリーランス」本当にこの言葉しかないのか疑問、「個人事業主」は名乗れない?
 言葉はこころや思考を映す。好みの服を纏うように自らにふさわしい言葉を私は択び、使いたい。
 

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