見出し画像

梅雨の沖縄旅行・如何に予算内に収めるかのゲーム的様相も含め:7 中城城跡

 中城城跡と勝連城跡をセットで訪れたいとは当初から考えてはいたが、時間的に厳しいのであれば切るのは勝連城跡だった。
 勝連城跡は確かに優美な全体の曲線は見飽きない、加えて一の曲輪からの眺望もよかったのだが予想外に早く観終わった感があった。次に控えている中城城跡に気持ちが動いていることも否めないが、あまりに綺麗に整え過ぎられるとこちらの気持ちが入る余地も少なくなる。

中城城跡ジオラマ

 移動時間等を現地の方に確認の上で、ほぼダメもと覚悟で夕方勝連城跡の対岸に位置する中城城跡へ急ぐ。

一の郭

 受付で夏時間対応のお陰で1時間は残り切るがまだ見られると告げられ幸運だった。勝連城跡と同じに係りの方にカートで受付場所から高所に位置する正門へ移動する。

石積の一旦解体
一の郭の西側の城壁部分解体・栗石
城壁解体と保護

 カートが着いた場所は、2017年頃600年前の石積みが年月で形が崩れ崩落する危険や、第二次世界大戦で被弾した場所などがあった為それら修復するために整備工事行われたその後の管理地だった。
 イメージしていた中城城跡とは全く違って最初は驚く。

正門

 下の写真は正門をくぐり抜けてやや離れた位置から撮影。

小さく正門の表示が見える
正門を上から

 崩れているとはいえ沖縄の城跡では一番原型を留めているといわれる。
 写真の背景でも分かるように標高160メートルの高台に、 北東から南西に向かいほぼ一直線に築かれた城である。

標高160mから見る市街地

 まだ足を踏み入れたばかりの城門で既に私は摑まってしまった。

城門
石積の精巧さ
ペリー探検隊一行がエジプト式と評した精巧なアーチ裏門

 南の郭は野面積み、一の郭と二の郭の石積み技法は布積み。増築され「新城(ミーグスク)」とも呼ばれる場所は石積み技法の最も進んだ相方積み(亀甲乱積み)が見られる。
 第二次世界大戦当時、日本軍が防空壕を作ろうとしたが石垣の構造があまりに堅固で作業が難航したため諦めて撤退したと箇所もある。
 石積に詳しい知識がなくとも、近くから見ても離れて城壁を見ても本当に美しい姿だった。

二の郭

  正門近くの首里王を拝む首里遙拝所がある南の郭から一の郭・二の郭・三の郭・南の郭・西の郭・北の郭から中城城跡は成る。

三の郭

 友人と二人一緒には歩かずこの広い城跡をそれぞれの視線で見て回った。

 天候も関係してか勝連城跡から中城城跡を見ることも、中城城跡から勝連城跡を見ることも叶わなかった。しかし、時間は限定されていたとはいえ世界遺産を貸し切りで見て回られるなど本当に恵まれていた。
 湾を挟み二城が存在し、力関係(正確には策略か)の末勝連城主阿麻和利の攻撃に備え中城城主護佐丸は常に兵力を増強していたにも拘わらず滅ばされた地を実際に訪れられたことは本当に意味深い。
 どれほど関係書物を読もうとも伝わってはこない事柄がある。

ハブ注意喚起の看板

 おまけ:
 時間が迫った訪問ながら私たちは本当にギリギリまで見て回るつもりでいたところ、最初にカートで正門まで連れてきて係り員の方が迎えに来てくださった。しかし、北の郭も十分に見てはいなくて自力で案内所まで戻ります丁重にお断りをした。
 ところが、この看板。英語は間違いだらけで今こうしてみると添削したくなるが、その時は二人顔を見合わせ「そんな所を歩いていたのね」と明らかにそれまでの二倍速で帰路を急ぐ展開に。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?