越年

言葉の変遷 「越年」

 私は絶滅危惧種よろしく「ら」抜き言葉が耳障り。指先のささくれのように大きな支障ではなくとも気になる対象ではあり続け、誰かが発する「ら」抜き言葉に毎回小さく躓く。結構、面倒ながら、それでも「ら」抜きには慣れない厄介さ。
 言葉は変遷し、長い物に巻かれながら変わっていることは確かではある。

 「越年」この言葉をどう読みましたか?
 今、幸田文の随筆を隙間時間で読んでいる。その中で

 「春子ちゃん、はこべはあんな小さな草だけれど越年するのよ。」
 「オツネン?」
 「そう、あなたがおとなになるとわかるんだから、今は暗喩して覚えて頂
  戴ね。はこべは越年するってね。」

 越年にはおつねんと仮名がふってある。短い数行の文章に何度も越年(おつねん)が出てくる。気になって調べると明治時代まではおつねんが主流だったそう。夏目漱石「三四郎」(1908年M41)においても「人は二十日足らずの眼の先に春を控えた。[略] 越年(おつねん)の計は貧者の頭に落ちた」と「おつねん」と読ませている。
 今ではおつねんと入力しても候補にさえ上がらない言葉。この随筆を読んでいると言葉が単に違うだけではなく、同じ日本とは捉えられない小津監督が描くような日常が書き留められている。*レヴューは読み終えてから

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