楽しみがなくなった郵便受け ガラスペンは変革をもたらすのか
一年の内で三が日だけは辛うじて年賀状が届くがそれとてプリンター作成で直筆の葉書はほぼ無い。
クリスマスプレゼントにガラスペンをいただく。有隣堂のお陰といっていいガラスペンの世界が我が家にも訪れた。
仕事で使う筆記具は100%に近く細字タイプのボールペンである為、ガラスペン先の太さに最初は戸惑ったが予想外のスムースな書き心地。
素直に誰かに手紙を書きたいと考えた。
コロナ禍前、まだ、普通に海外へ旅行ができた頃は必ず海外の切手と消印を一つのおみやげとしてホテルでのゆっくりとした時間に葉書は書いていたが、勿論、それはボールペンだった。
インテリアの一部的な机上に存在するインク瓶。それが飾り化する前のインクを使って書いたことが思い出せないくらい遠い記憶の向こうに行ってしまっていた。
母に頼まれ先月代筆をした。落ち着いた和紙タイプの便箋に緊張しながら年配の女性宛ての文をしたためた。PCであれば楽なのにと正直楽なことが頭の中をかすめるがこればかりは仕方ない。
便箋を択び、便箋に合う筆記具(色も含めて)を揃え、切手も持ち合わせの中から合ったデザインを探す。書き終わったなら当然ながら封印しポスト投函。この最後の投函作業が本当にハードルが高い。指先一つでmailを送付することとは明らかに一線を画する。
局員の幾人もの手を借りて届くそうした手紙はだからこそうれしいのではある。
新しく手元にあるこの青いガラスペンがこうした面倒な類を一連の楽しみに一纏めにしてくれることを願って、今年は一枚でも多く手紙や葉書を友人に送ろうと考えている。
友人に瞬時に届かなくてもいいことは多くある。伝えたい内容よりも、今考えることは友人のことをゆっくりとこころに置いているその状況が合理的な日々に何かを与えてくれそうな予感がある。そして、それは友人にも伝わらないかしら。
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