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「ジョーカー」

原題:Joker
監督:トッド・フィリップス
製作国:アメリカ
製作年・上映時間:2019年 122min
キャスト:ホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロ

 終始圧倒的なホアキン・フェニックスの演技に魅了されたままだった。
 バッドマンを演じた役者が数人存在しているように、ジョーカーについても既に演じた他の俳優と比較する必要はないだろう。バッドマンシリーズは全ては観ていない私でも本作は十分に楽しめた。いや、反対に全て観ていないからこそ、そう違和感を抱く必要がなかったとも云える。

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 ジョーカー誕生の話としても、正直このジョーカーがバッドマンと戦う?と首を傾げるほど当初は苦悩だらけの上弱々しい。体重を20㎏近く減量してあばら骨が浮き出た躰は「The Machinist」のクリスチャン・ベールを思い出したほどだ。
 この作品の次にもう一作品繋ぎになる作品があると、今作の弱さは全く問題がない。つまりは、作品最後のジョーカーの姿を皆が知るジョーカーと見ないことだ。

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 母に云われてきた「どんな時にも笑顔で」。
 口角を上げると作り笑いは簡単に出来はするが、その笑いでは笑いの連鎖は呼べない。脳の障害から来る突然の笑いはまるで発作のように続くが、それが止まった時は感情から来る笑いではない為途端に素面に戻る不自然さ。
 不気味さとその為に誤解を受ける理不尽さは縁を切ることができない。

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 ホアキン演じるジョーカーを観ていると、コメディーとは誰が命名するのかと考えてしまう。彼の「泣き」と「笑い」は感情の裏表に見えず、自身の痛みが他者には笑いに見える。それを承知で身を切り売りしてコメディアンになっていくとすると、先のコメディの命名はやはり自虐本人なのか。
 勿論、彼はコメディアンに徹することはできない。

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 真っ当に理解されないまま、運が悪いことに歯車まで少しずつ、それも確実に自身を追い込む方向へずれていく。
 優しいとみられているジョーカー自身は、この状況の中で銃を手にして感情の放出先を見誤っていく。
 ほぼホアキン・フェニックスの独壇場。それでも、静かなスクリーンから目を離せない緊張感が最後まで続く。何も無駄がない作品だった。
★★★★

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