散歩

生きること 本性・本能・共存

 象の調教にまつわる悲しい記事を読んだ。調教とは名ばかりで「恐怖」による虐待でしかなく、記事と一緒にあった動画は残酷過ぎてすぐに止めてしまった。音量がない動画でも象の悲痛な鳴き声が十分に届いた。今後、どのような状況であっても私は観光地で象の背に乗りたいとは考えない。

 ご縁あって家族になった我が家の二代目「Moon」は先代と違い男の子。
 姿形は同じうさぎ括りとしても、そして、2kgもないその躰の小ささであっても本当に行動、仕草と「個性」の存在をみる。

 何事にも控えめで、いつも前足をきちんと揃えていた先代Sunny女の子。
 食事の要求も「お腹空きました」と目立ったアピールはなかったが、私がキッチンに立ち包丁の音が聞こえると「定位置」に座って野菜の端が入ったお皿が置かれる場所で静かに待っていた。
 一方、Moonは積極的にアピールしてくる。何かしらをもらうまでは、あなたはうさぎの暴走族なの?とつい言いたくなるようにずっと私の周囲を回り続ける。文字通り周回し続ける。
 「食べる」ことは「生きる」ことだから妥協が無いのだろう。
 躾に関しても然り、二三日でSunnyもMoonもトイレは覚え、部屋の中での粗相は全くない。自身に必要なことは覚える。
 だが、Moonに関しては、男の子ということもあるのか、それとも単なる個体差なのか好奇心旺盛。「人間の都合」がかかっている躾は「あまり」覚えたがらない。しかし、分かってはいるらしく、少し語調を強めて名を呼ぶと「ボクは何もしてないからね」といたずらしかけていた場所から涼しい顔で帰ってくる。
 長生きをして欲しくて獣医さん提唱の主食は牧草。人間のコーンフレークスに似たペレットはおやつの位置づけとした。後はほんの少し爪切り騒動用ご褒美乾燥フルーツ、牧草ブロックが彼のほぼ口にする全て。そして、それを与える場所も決めて育てたところ、このことはすぐに覚え、笑ってしまうほど「決して」忘れない。

 食い意地が張っているのではない。野で自由に生きている環境でない以上、この子らにとって生きる上で食べることは死活問題だ。
 本来生活する場が違う生き物同志、我が家では「うさぎと人間」には共存する際に幾つも譲り合いがある。人間の都合で我慢してもらっていることが多々ある。

 人間の勝手な理由による生き物の虐待をはじめ、私物化はそれを行う人にどう伝えたなら止めてもらえるのか。

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