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光をあてる言葉・・・学校現場にて

 こころに突き刺さる言葉のナイフで生じた傷は本人にしか見えない為、ある意味物理的ナイフよりも深い傷を残すであろうことは以前にも触れた。

 一旦学校現場からは身を引いたものの中々学校と縁を切ることが出来ず、一昨年に続き昨年も依頼があった学校に非常勤で出向いている。(此処では小学校中学年に算数を指導した。)
 去年と同じ学校で今年も依頼があり継続勤務に入った。昨年指導していたある女の子はどうして補講クラスに在籍しているのか疑問になるほど利発に映っていた。例えば、授業始めに行う百マス計算タイムトライアルも一年間一度も一位を譲らなかった。用意したプリントも難なくこなし授業態度にも勿論問題はなかった。

 その子が3年生から4年生に進級し、今年度も補講クラスを希望してきたが別人のように様子が違う。決してADHDの素因はないにも拘わらず離席することが多く、整っていた数字も学年を戻したように乱れている。得意の百マス計算はそもそも意欲がないようで設定時間内に辛うじて滑り込む程度。

 授業終了後にその女の子が置かれている状況を伺うと、春から午前中は殆ど保健室でも図書館でもなくトイレに4時間も籠っていることを知らされる。おそらく彼女は大人(教職員)に接したくないのだ。

 私は限られた時間でしかこの子らの情報を得られないため、補講終了後児童らのファイルを自宅に持ち帰りその日の習熟度チェックだけではなく、個々の取り組み等も含めた進展も確認している。小さな前進にも児童が自覚が持てるように数行の言葉をプリントに残す。
 算数補講に来る彼らの多くは教室では中々褒めてもらう機会が少ない。だが、その算数だからこそ褒める箇所を敢えて見つける。
 例えば、当たり前のことではあるが面倒がってしない書き直し。地味ではあるが飛躍の確かな足掛かりになる。だが、促しても中々しないのが現状だ。そうした中、自発的に計算を間違った箇所を書き直していた3人を授業始めに褒めた。
 毎週、褒める材料は必ずあるのだ。

 先週、例の女の子が約半年かかったが百マス計算でミスなく一位に返り咲いた。この半年間彼女のファイルには去年との比較は一切書かず、前進している今だけを励ましてきた。やっと復活したと感じたが、実際は小さなミスを見つけると極端なほど萎縮する姿勢が見られるため、指導者に焦りは禁物ではある。
 でも、彼女のプリントに自発的に自身の弱点である部分を補填するように板書が写されていたことを皆の前で褒めると、やっと笑顔も戻った

 彼女に教室で何があったのか私は詳しくは知らない。しかし、去年一年間見ていた彼女は知っているのだ。
 バイアスなどかけず目の前の児童に接することで、単に算数を教えるだけではなく児童らに自信を与えることが私にできることと信じて教室では中々あたらない光ある言葉を択ぶ日々。
 *先だって、ボランティア活動でいらしてた彼女のお母様から「娘が放課後の授業を楽しみにしています。」とお言葉をいただき本当にうれしかった。

*タイトル写真:長崎市浦上川で練習する長崎西高等学校ボート部練習風景
 
 

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