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一週間かけて鳥取を訪ねる:⑩大山阿弥陀堂

 全日程の半分を超え、後半に入った。
 三朝温泉へはこれまで個人的に幾度も足を運んでいたこともあった為、この日からの鳥取県西部への移動景色は初めてで新鮮だった。
 実は指定された観光資源の中には見直しが必要な場所も幾つか存在した。
 その一つが大山へ行く途中の船上山万本桜公園 (せんじょうさんまんぼんさくらこうえん)。地元の方々にとってはハイキング等を楽しむ場であっても県外訪問者が目的を持って訪れるには無理があった。
 只、船上山という名でも分かるように後醍醐天皇絡みのこの地は公園ではなく後醍醐天皇絡みで紹介された方がとても興味深い。
元弘の乱により隠岐へ配流となった後醍醐天皇が1333年に隠岐を脱出し、船上山合戦に勝利し「建武の新政」の礎となった歴史の山でもある。
 受験勉強でしか記憶がなかった建武の新政が突如目の前に強調文字で現れた感があった。「此処だったの?」とビックリマークを使いたい程。
 船上山が古来、大山や三徳山とともに山岳仏教の聖地であることも含め、100mの屏風岩などその地形も面白い。
 船上山には再度訪ねたいとパートナーと同意見だった。

大山寺阿弥陀堂

 大山寺阿弥陀堂は大山寺に現存する寺院の中では最古の建築物。
 平安時代(藤原期)に建立されたが亨禄2年(1529年)に山津波で倒壊。その後天文21年(1552年)、現在の場所に再建されたといわれる室町末期の建造物。

阿弥陀堂への道
途中から整備された道に

 阿弥陀堂周辺には駐車場は無い為に町中心部に駐車し徒歩で向かう。
 大山という場所柄、登山の人が多くこの阿弥陀堂は目的地ではなく登山と抱き合わせの人も多い様子がうかがえた。

大山阿弥陀堂

 登り始めの最初にかなり荒々しい道が現れ溜息つきそうになったが、そこを過ぎると整備された道と階段が続く(どうも私たちは一般的なルートではなかったよう)。
 途中の風景は雑音が一切なく静かで木立の中を歩くことは気持ちが良く、阿弥陀堂へ続く緩く長い上りも気にならない。
 阿弥陀堂への期待を膨らませる時間でもあった。

大山阿弥陀堂側面
大山阿弥陀堂全面
大山阿弥陀堂
大山阿弥陀堂
基好上人の墓

 煌びやかさを纏ってはいないが、寧ろその質実ながら丁寧に造られた佇まいは訪れた人を引き込むようだった。大神山神社 奥宮からは2kmと少し距離があるが予め余裕ある時間配分で是非足を運んで欲しい。


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