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「名もなき生涯」 review補足

 reviewを長く記した割には、残念なことに書き尽くせなかった力不足。

 ドイツ状況の描き方:
 モノクロのニュース映画はsquareの画面で導入され、観ているこちらは次第に意識せずとも現実の戦況と時代の空気を読んでいた。また、作品の中で特に軍法廷でのドイツ語について翻訳を敢えてしない手法は、ドイツ語が分からない人にとっては致命傷でありながらも、ドイツ軍将校らの会話を雑音を分けることも出来た。
 大切な言葉はフランツから発せられると明確にしている。

 自身のreviewを記した後、他の方のreviewを幾つか読んだが、受け取る素地が違うことで作品の受け取りはこうも違うのかと改めて知らされる。
 当初の受けるイメージはヒトラーへの忠誠を誓うことが出来ない姿を描かれることでナチスへの抵抗とだけ見ている人がある。
 しかし、彼の信条が許すことが出来ないのはその部分を超えて、戦争で意味もない人を単に相手国としての理由だけで殺めることが絶対的に受け入れられないことだった。

 戦争という言葉は強い暗示と力を持つ。それは作品の中でも言葉になるよう「祖国の為」とも言い換えられる。決してこの言葉を使うのは日本だけではなかった。
 フランツのようにまともな意識・信条を持った人々が迫害に遭う戦争という形態は、戦場だけが人の心を荒ませていくのではないことも示される。
 挙国一致の世界で自身を保つ拠り所が、フランツの場合カトリックの教えだった。それは、結婚した妻の影響が大きかったとある。
 無宗教の人にこの辺りの信仰による支えを理解してもらうことは難しい。
 信仰で導かれた教えには都合という名の人間の身勝手は関係しない。
 夫を救う為に頼った司教でさえ、信仰から離れた俗の言葉を用い夫婦を失意に落とす。言葉を変えるのであれば、それほど信仰を貫くことは困難ということであろう。

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 作品の中に常に遠く中央に存在していた教会の姿が仮令戦況の中で形骸化していても、少なくともフランツの中では死んでいなかったことが実は救いだったのだ。だからこそ、彼は列福された。

 遠い昔、日本で禁教令が敷かれた時に長崎西坂殉教の地で亡くなった26聖人もまた命をかけて人として生きる信条の道を捨てることはなかった。
 信仰を守る人を愚直や頑固といった的外れな言葉で片付けて欲しくない。
 作品最後に流れるエリオットの詩の言葉は、フランツに限定せず届いたことも救いであり良い終わり方だった。

「For the growing good of the world is partly dependent on unhistoric acts; and that things are not so ill with you and me as they might have been, is half owing to the number who lived faithfully a hidden life, and rest in unvisited tombs.」*「歴史に残らない行いが世界の善を作っていく。知られざる人生を忠実に生き、今は訪れる人もない墓に眠る人々のお陰で、物事がそんなに悪くはならないのだ。」(要約)ジョージ・エリオット

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