選択肢があり過ぎることの不自由さ:遠い南の島で知る
以前に慶良間諸島の阿嘉島へ一泊した時は、普段の利便性から離れた島に滞在すること自体が初めてで何もかもが新鮮だった。
「この島では此処にしかお店がありません」と島へ渡ってきた際に云われ、実際散策中に訪ねてみると売り切れ寸前の商品棚に見えるほど店内には品が少なかった。
何もかも代表選手が置かれているような陳列棚だった。
例えば、マヨネーズを購入するとしても提供している会社を択べず棚にある一社だけ、容量も一種類だけと至ってシンプル。こちらに選択権は無い。
この状況に近いお店は、奄美大島を旅行した時に日帰りで訪れた加計呂麻島の桟橋近くにあったお店。
波照間島では事前にコンビニエンスストアがないこと、食事を提供するお店も不定期営業があったり、時間が限定されていることが多いことは承知だった。勿論、電子決済など使えず現金かクレジットカードの情報も確認していた。消費者に合わせられてはいない。
タイトル写真は、南集落にある南共同売店。島で一番古いそう。*南欧でいうシエスタのような長い昼休みがあるのでご注意。
他にも中心部に名石共同売店がある。名石共同売店は品数も他の共同売店より多く旅行者の姿も目立った。
島での限られた期間の生活であっても、今までの自由に択べた生活とは全く違う世界であることは肌感覚ですぐに理解できる。共同売店が幾つか在っても在庫は限りがあり、海が荒れると定期便は欠航し補充もままならない。
当初は期間限定という旅行者の立場がこの一見不自由に見える世界を許容しているのかと勘違いしていた。けれども、どうもそうではないような、と感じ始める私がいた。
宿泊所のシャンプーが切れてオーナーの所へ行くと、いかにもオーナー家族が昨日まで使っていただろうシャンプーとコンディショナーが入ったかごを渡され、正直驚く。また、それが今まで私は目にしたことがなかった品だったことも印象的だった。
シャンプーやコンディショナー一つとってもいつもはネット検索をし情報を集め、より自身の髪質に合うものを探してきた日々は何だったのだろう、と力が抜けた。
デジタルデトックスどころか、生活デトックスを経験してきた。
国産だけではなく世界中の品が手に入る。一見、しあわせそうであり、便利な世の中に見える。多分、都市部で生活するとそれが普通になる。
常に択び続けることって、案外と疲れる。
コレしかない、となった時はそこから先は自由にアレンジしたならよいのだもの。
と、言いつつも島から帰るといつもの生活サイクルに戻ってはいくのだが、少なくともこれからの旅行では今まで以上に多くを求めない旅行はしていくのだろうとは考えている。
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