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ゲシュタポ的もやしのひげ根取り

 大学入学、婚姻等で生まれた地を離れた人は、新しく赴いた地でおそらく殆どの人が体験や実感する地域差。これまでローカルルールを標準と疑わなかったことが覆される。
 幸いにも私の地域差は九州と東北と味の両極差ほどにはならず、九州対関東の域で収まりはした。それでも、出汁の濃さ(色)に関しては予めの情報でそれほどカルチャーショックは受けなくとも、豆腐の形からナスの形、白ネギ主役に至るまで驚くことは多々だった。
 婚姻は、そのことに更に家族ルール差を突き付けてくる。

 もやしのひげ根取りは、我が家では普通というべきか当然のことで母とおしゃべりしながら、或いは母の調理する背を見ながら近くのテーブルでひげ根取りの手伝い。少なくとも疑いも無く毎回下処理をしていた。時には弟との共同作業もあったりした。
 そもそもひげ根がついたままの料理を外食でもほぼ口にしない為想像が難しいが、ひげ根の存在はその見た目から始まり、食感や臭みまで影響する筈。

 ふと気になって家庭でもやしのひげ根を取るか否かをネット検索をしてみた。想像通り、取る人と取らない人の割合までは調べなかったが圧倒差が見られない書き込みがあった。

 パートナーは今回の(もやしの)ひげ根取りを男性だからなのか一応面倒がった。義母も取っていたようだとは話すがあまり印象がないよう。でも、おそらく義母もひげ根を取っていらしたからこそ私の料理に入っているもやしに違和感がなかったのではないかとも勝手に考察。

 さて、長い前振り終了。
 オンラインで勤務内容を自宅で続行出来るパートナーは(自宅待機生活のお陰で)自宅で食事することがほぼ毎日になった。これまで週の半分は別々に食事をしていた私たちの食事風景は一変した。
 二人でおしゃべりしながら今夕の下準備としてもやしのひげ根を取っていたが、高々もやしのひげ根を取るだけでもやはり性格が反映するのだ。
 大雑把な作業をしているパートナーの横で、一本たりとも、どんなに短かろうとも見逃さずひげ根を取る自身をまるでゲシュタポ的よねと自覚してポツリと云うと、すかさず「まぁ君は性格がドイツ的傾向はあるよね」と。
 残念ながら、反論出来ない。

 一袋が安いもやしに時間をかけたくないという書き込みもあった。けれども、安いからという理由で手をかけないというよりも安いからこそ一手間で美味しさを加えると考え直してはもらえないのだろうか。*勿論強制ナシ
 実家がそう(ひげ根取り派)だったという人は、それがデフォルトで幸いだったかも。

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