見出し画像

覚悟は何ダース用意しようと砂漠に如雨露で水まき:家族の癌(疑い)

 癌家系の自覚はある、十分過ぎるほど。
 父が癌に罹患し既に神さまの所へ移住済み、母はもう手術がいつだったか即答できないほど前の初期に処置をし幸い再発無く過ごしてきた。そして、私も癌の手術経験者、体内に不発弾を抱えて生活中である。

 病院からスマートフォンにかかってくる不意打ちのような突然の電話は基本的に良い知らせが少ない。
 一昨日、母の主治医からの電話には運転中で出られず、帰宅しすぐ実家に確認の電話をするが母が緊急入院をした訳でもなかった。母とも「先生のオペレーションミス call だったのかしら」と会話、そもそも母にあまり心あたりがないらしくさほど重要視せず先生からの電話の件は終わった。

 しかし、翌日つまり昨日再度主治医からの電話。
 「今日はお話したいことが2点あります。」と言われ、まるでテレビドラマの脚本よろしく大事な話は2点目に用意されていた。

 母は私には話してはいなかったがかかりつけ医院で細胞診をしていたらしい。
 1回目が5段階の3で疑陽性だった為に、再度検査した結果が5段階の5。
 悪性腫瘍の疑いと先生のお優しい声がすとんと届いてしまった。
 極めて私は淡々と事実確認していたが、自身の心情は表面張力限界で涙が留まっているに過ぎず現実を時間の隙間にひたすら埋めていくことの方が精神的には救われた。
 精密検査手配をお願いし、癌前提の今後の流れも主治医と確認した。

 生まれた順番に神さまに呼ばれることは自然の摂理ではある。3回も危篤を経験した私だが幸い親よりも先に向こうに行く親不孝は避けられた。母が父側、つまり神さま側に呼ばれても致し方ないのだけれども、今日のタイトル通り常日頃父の死以降は家族の中では癌再発時については話はしていたにも拘わらず、今の私には何の役に立っていないような気さえする。*実際は多少は役に立っている。

 こうして涙に滲んだ言葉を躰の外に出すことで少しは救われたい、と独り言のような日記のような雑感を残すことになった。
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?