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2023/07/15 絵!!! 二分割!!

前置き。
うおぇ?? 絵? やば


本題。
さっき気付いたんですけど、イラストのデフォルメの本質って二分割なんじゃないかと思ったんですよね。どのくらいの勢いかというと透視図法を採用して絵を描くのと同じくらいの勢いです。

自分も絵を描き始めた時にはネットで『絵 描き方』とかで検索したんですけど、そうすると大体ヒトカクがいいよみたいなことが書いてあったので、とりあえずヒトカクに沿って人体の描き方を勉強したわけです。で、そこで語られることの多くが人体を単純な図形で置き換えようという話でした。つまり、球や立方体、直方体など。その時は確かに素人が描くなら人体の複雑な形に沿うよりそういう『簡単』な図形に基づいて線を引くのがやはり『簡単』であるという程度の認識でした。ちな、今回は『簡単』についてはそんなに深く触れません、今まで触れてきたので。

そこで一つ疑問があって、素人が立方体で抽象化して描くのは良しとして、ならばより『良い』絵を描こうと思ったら、より人体にそった複雑な図形、例えば五角柱や八角柱などに沿えばいいのか?ということです。実際ネットを見渡せば筋肉や骨格の構造に基づいた複雑な図形にデフォルメされた絵がたくさんあって、自分もそのようなデフォルメが言ってしまえばステップアップのように思っていました。知識と立体把握、表現力に基づいたそれらは確かに正当性のある、『良い』絵に思えました。

ところがここで問題が一つ発生します。それは複雑な図形を持ち出すことにより情報量が増えてしまうことです。情報量というのは絵を描くにあたって明らかに制御されるべき要目であって、これが雑にばら撒かれた絵というのは『良い』絵とは言いづらいです。一般的には情報量の多い部分に人の視線が誘導されるものなので、制御されない情報量は人の視線を散乱させ絵の印象をぼんやりとさせてしまいます。

では形の複雑さと情報量を増やしつつよりバランスの取れた絵を設計すれば良いかといえば、そうでもありません。もちろんそういう風に描かれた『良い』絵はたくさんあるかと思いますが、それとは別に情報量を極限まで減らした『良い』絵が存在するからです。少なくともこの世の『良い』絵の全てが必ずしも複雑さと情報量の間で四苦八苦して描かれているとは思えないからです。さらに言えばイラストという言葉で表現されるそれらは多くの場合リアル寄り、デフォルメ寄りなどと言った分類がされることが多く、情報量がより多いと見積れるリアル寄りの絵にデフォルメの絵が劣っているということはあり得ないと思われます。

では逆に情報量を減らすことを考えてみると、最小単位はどうなるかというと、これは完全に平面であることがもっとも情報量が少ないと考えることが出来ます。ところが私達はイラストを描くにあたって多くの場合立体物を表現しなければならないという制約を受けることになります。そうなると平面的な抽象化で立体物の規格化をすることは『難しい』ことがすぐに分かります。では次に立体での抽象化を考えることになりますが、この時なるべく情報量を減らすことを考えると画面に対して立体が見せる面はなるべく少ない方が良いと思われます。この時ふと思い浮かぶのが透視図法です。透視図法では立方体が描かれたとき、見えるのは3面以下になります。平面と立体の見分けが付くという意味では2面で十分と思われます。1面では平面と見分けが付きません。するとデフォルメの最小単位は2面なのではないかと思います。ちなみにここまですべて妄想です。対ヨロ。

まだ描き足りない気分はしますが、なんか筆の調子も落ちてきたのでここら辺にしておきます。透視図法を支持する理由に関しては全く別口で考えていたことがあるので気が向けば書くかもしれないです。どうだろ。


ほんとはもうちょっと詰めてから書きたかったのがほんとだけど、こういう瞬間は貴重なので。多分。

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