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2012ローマ

空は、暑さに疲れた水色。大気は自転に遅れているように気だるい。仕方ない、7月の朝だ。
オスティア・アンティカを思い出す。ネット予約をしたガイドとの待ち合わせはローマ・テルミニ駅脇8時だった。二重に門のあるレジデンスに宿をとってしまった私は、持たされた鍵束をガチャガチャ言わせて、慌ただしく時間通りにその場所に着いた。
ローマ焼けと私がかってに表現している、日に焼けたガイドがすでに待っていた。彼女の衣服から出た部分はすべて褐色。ノーメイク、白い膝丈のワンピース、素足に黑のサンダル、焦げ茶のショルダーバッグ、金の太めのブレスレットとリング。日本人だった。
「もう1グループ、ご家族でしたがキャンセルされたので、きょうはあなたお一人、ゆっくり楽しみましょう!」
習いたてのイタリア語はまだ現在形以外知らず。それで語学留学のためイタリア初上陸2日目のことだった。留学先のアッシジに移動するまでローマに2泊。雰囲気に慣らそうと気が張っていたところへ、まるで神様の計らいのように出現したガイドにフッと気持がゆるんだ。
「オスティア・アンティカ、行かれるなんて夢みたいです!」
「ポンペイよりいいといわれてますよ、これから電車にのりますが、夏は海に行く人で混むので荷物に注意してくださいね」
古代ローマでオスティアは重要な港だった。港町として非常に栄えたところ。いまは海水浴場なのか…。気持ちはすっかりローマ人となり、感慨に耽ってしまった記憶がよみがえる。
オスティア・アンティカ、ゆるい風が低く土を巻き上げて轍の残る石の道を先へ先へと誘う。一通りのガイドのあと、
「すごく好きそうだから、ひとりで歩きたいでしょう!30分後にカフェでね。」と、粋なフリータイムを告げて、おそらく同い年くらいのガイドはモザイク越しの市場跡の向こうへ戻っていった。
崩れかけた壁を触り、劇場跡に座り、足の幅もない階段を上り、眼下のモザイクと会話した。忘れ去られた港は土砂で埋まるものだ。ここもずいぶん内陸となってしまったなぁ。
“海が、見えない”   遺跡たちが、石たちが、粉々の砂粒たちが嘆く。
彼らを見下ろす空は、やはり今朝のように褪せた水色だった。熱い日射しで洗われたように。

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