宝石仕入にスリランカへ!の話。
皆さまこんにちわ。毎日楽しく過ごされていますか。
いつもお読みいただきありがとうございます。
さて、今回はスリランカへGo!のお話ということで、なぜスリランカなのかというところからお話したいと思います。そんなに複雑な理由はございません(笑。当時は日本国内での宝石産業は年間で2兆円産業で、この中でちょっとだけお金がこちらを経由してくれれば良いだけで、サファイアに特化した販売でいけると見越してスリランカに渡った訳です。
当時の円=ルピーは確か0.2円(1円=0.2ルピー)だったと記憶しています。今では0.55ルピーになっているのでそれなりに上がっているみたいです。
まず、現地では現金仕入れが基本だったので両替するために銀行に行って、日本円からルピーに替えるとどうなるか、、恐ろしいことになりました。
その時はかき集めた日本円で約2000万円、、ほらね、どれだけのお札が積み上げられたことか、、勿論持てません。急遽カバンやらトランク買いに走り、詰め込んでホテルに戻ろうとしたら銀行警備員からSTOP!かかった。
「このまま出たら殺されて全部持っていかれるよ」と、、そして警備員と現金輸送車手配してもらってホテルまで戻った。ガチで機関銃持ってたよ。
ホテルもワンフロア貸切にしないと危ないと言われ、余計なことは言わずその通りにした。まぁ怖かったこと。それから採掘現場も見せてもらい、川に印が付けられていて、ここからこの範囲まで石を取ってもいいと言う権利を買う訳なんだけど、それで出なかったら買付アウト!な訳で名の通った日本の企業も沢山その権利で石を取っていた。なので、権利を買うことはせず、現地にある有名(ヨーロッパ出荷メイン)なところで買い付けることにして
サファイアを仕入れる為に行ったわけなのですが、マハラジャの金ピカな世界と貧困の混じった世界で、石の研磨、カットをしていた(女工さんの給料が日本円で当時2000円・月給)奥が見えない、何人いるのか想像もできないくらいの広い工場で色々な種類の石を見せてもらい、当時日本に入っていない石も沢山仕入れたわけです。鑑定士に見せても初めて見た石で鑑定できないことが多く有ったと記憶しています。
今ではよく見るオレンジ色のサファイヤやマルチカラーと言って12色のものが珍しくて色んな種類を手にした。それらの一部を初めて日本市場に持ち込んで小さいとこから売買を個人のみで始め、あっという間に約1億の売り上げを作った。もちろん販売方法も新しく考え抜いてやってみた結果です。
一緒に始めた叔父さんだったけど、案もなければ販売も出来ない人で、挙げ句の果てに宝石使ってネズミ講とした方が早く儲かるデーなどと言い出す始末。ほんと呆れた。それからダイヤの要望がすごく多くなって、それじゃと言うことでブラジルの見本市に行こうとチケット予約して、先にお金の振り込みを、、と金庫開けたら空っぽになっていて、いきなり目の前真っ暗。
やられてもーた。
宝石と貴金属は身内でも一緒に組むなと良く言われてたけど、本当にそれが起こってしまった。現金回収もできないまま、その叔父さん、程なく心筋梗塞で亡くなりました。悪いことはできまへんでー!と言う思い出。
その回収行脚のお話は機会があればまた書いてみたいと思います。
また無職、今度は自己資金も無くしてしまった私、どうなることやらです。
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