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ミュージカル『マチルダ』感想(後編)

長くなってしまったので後編。前編(1幕まで)はこちら



ミュージカル『マチルダ』概要

5歳のマチルダは、図書館にある難解な本も全部読みつくしてしまうほど、高い知能と豊かな想像力を持った少女。
しかし両親はそんなマチルダに関心を全く示さず、家庭は辛い場所だった。
図書館に居場所を求めたマチルダは、そこで教師のハニー先生に出会う。
翌日、マチルダとハニー先生は学校で再会する。
ハニー先生はすぐにマチルダが「天才」である事に気づき、その才能を伸ばしたいと願う。
しかし学校は、校長であるミス・トランチブルが恐怖で子どもたちを支配する『監獄』のような場所だった。マチルダは自らが持つ不思議な力を駆使して、子どもたちを苦しめる大人たちに仕返しを試みる。自身も苦しい子ども時代を過ごしたハニー先生は、マチルダの良き理解者となり、いつしか二人の絆は固いものになっていく―。

公式サイトより

マチルダ:嘉村咲良/熊野みのり/寺田美蘭/三上野乃花(クワトロキャスト)
ミス・トランチブル:大貫勇輔/小野田龍之介/木村達成(トリプルキャスト)
ミス・ハニー:咲妃みゆ/昆 夏美(Wキャスト)
ミセス・ワームウッド:霧矢大夢/大塚千弘(Wキャスト)
ミスター・ワームウッド:田代万里生/斎藤 司(トレンディエンジェル)(Wキャスト)  他

以下ネタバレしかなく、一度観劇した人を前提として書いています。

TELLY/テレビがすべて

1幕終わってすぐお手洗い並んでちょっとゆっくりして戻ってきても間に合うぐらいには時間的余裕はあるけど、2幕始まる5分ぐらい前にはミスターが登場するので要注意。

ミスターの癖なんだと思うけど、ミスターは罵倒するときに「チビで」「胸糞の悪い」「ろくでなし」みたいに形容詞?を複数重ねるのだけど、それがマチルダの語彙にしっかり引き継がれているのが親子だな~~~と思ってる。
物語の中もそうだし、後のトランチブルを罵倒するときも。親子ならではというより、マチルダの語彙があの家で育てられているからというか。

TELLYは「テレビは何枚もの絵が流れて情報量が多いからそれを見ると賢くなる、テレビを見ている俺は賢い」って要約するとそういうことを言っているんだけど、ラストでミスターはバカって言われまくるの伏線回収的でウケるね。

本を投げ捨ててマイケルがゴミ箱キャッチするところ、まだ1回しか取り損ねたところを見たことがなくて、マイケルすごいよ…となっている。
ここの歌詞、作家の名前をもじってディスってるのが面白いんだけど、鳥頭すぎて「シェイクスピア?頭シェイクしな」しか覚えていないので、お願いだからフォトブックに歌詞掲載されてください……。

みんな大好きラベンダー登場。本編で一番笑いをとってそう。
ラベンダー良い子だよね…。マチルダが活躍したときに「この子私の親友なの!!」って自慢しちゃうようなお調子者なところあるけど、マチルダの脳みそがこぼれないように心配して友達になろうとしたり、素敵な優しい女の子だと思う。

でも後のQUIETでマチルダは友達の声もノイズだと言っているので…ラベンダーというか同級生はマチルダの理解者には足りえないのかと切ないです…。

WHEN I GROW UP/いつか

音楽が美しくて、演出と美術が美しい。
前列で観たときにブランコがすぐ近くまで迫ってきて感動した。
後ろの滑り台から次々と生徒がきて、ブランコを漕ぎ出す。夕暮れのようなライティングと、静かだけど楽しそうに歌う姿が素敵なんだよなぁ。

「いつかは 立ち向かう強さをもつ 怖い怪物倒せる 大人になるため」

子どもたちが歌うと大人は何でもできる人に見えるのに、ハニー先生が歌うと大人は何かを守る力を持たなきゃならない、と意味が変わって聞こえるのが、良い歌詞だなぁと思う。

カンパニーで歌っているこの動画、千穐楽が終わって見るとなんか泣いちゃいそうだなと思っている(なんならもう泣きそう)

図書館③~I’M HERE/そばにいるよ

脱出名人とアクロバットのお話が大きく動くシーン。「アクロバットは突然世界一力のこもったハグをしました。あまりにも力強かったので、脱出名人は体中の息が吹きだされるようでした(意訳)」とマチルダが自分の経験を引用しているところ。アクロバットが脱出名人を愛おしく思ったように、マチルダもあの瞬間ハニー先生のことを大好きだと思ったんだろうな。

いやこれはハニー先生の両親の人生だから、マチルダの経験とは無関係、みたいな見方もできると思うけど、私のイメージとしてはマチルダの頭の中に突然物語が浮かんでくるけど、それをどういう語彙でアウトプットするかはマチルダが装飾しているものだと思っている。ので、マチルダの語る物語は、マチルダが紡ぐ言葉はマチルダから見た世界を表現しているものだと思っている。

何が言いたいかって、あんなにあたたかい言葉を紡ぐマチルダは優しい子だよってこと。

フェルプスさん「警察を呼びましょおおおおおおう!!」←好きすぎ

フェルプスさんって、マチルダの語る自分の家族の嘘に気づいているのかな?フェルプスさん、マチルダを過剰に子ども扱いしない、大人と変わらないクリエイターとして尊重しているけど、でも心配はしていそうなんだよね。

マチルダの嘘に気づいて、でもマチルダのプライドを傷つけないように尊重してあげているのかな、っても思えるんだけど、そういった表現をされている様子は見ていないので、優しい世界であってほしいという私の妄想に過ぎないかな。

ミスターが「図書館のババアにお前をいれないよう言いつける、お前をいれたらクビになるようにしてやる」って怒っているときに凄くエコーがかかる。これは冒頭の学校には正しいことなんか一つもないとトランチブルのことを語るときもかかっているんだけど、こんな風にエコーがかかるときってマチルダにとって怒りに繋がるようなノイズになっているときってこと?

マチルダが珍しく何もできなくて泣いているようすを、泣き声をあげるんじゃなく、ふさぎこんでベッドを叩き、手で涙をぬぐうという演出にした人は天才なんじゃなかろうか??こんなに適格にマチルダの自分の好きなように過ごせない悔しさや、親に逆らえない非力な子どもらしさを表現する方法、他にないよ…。

ついに物語とマチルダがリンクして、脱出名人がマチルダの部屋に飛び込んでくるんだけど、とんでもない美声が劇場中を満たしていつも衝撃を受ける。白山さんの歌声最高です。

マチルダと脱出名人、お互いに「どうか許して 傷つけたいわけではない」って言いあうの、二人は何も悪くなくひどい目にあっているのに、互いを慮る気持ちが出てくるのあたたかいよ。脱出名人はアクロバットを失った悲しみもあり我が子とずっとそばにいることをできなかった(仕事に逃げたのかな?)けど、でも脱出名人なりに当時は信用していたアクロバットの姉に頼んで一人にならないようにしてあげていたんだよね。娘もパパは愛してくれている、パパに迷惑かけないようにしなきゃ、私は大丈夫って振る舞う優しさが切ないよ。

「大人の男の本気の怒りを目にしたとき、お前に何ができるか見てやろう!(意訳)」の言い回しが好き。そして二度と帰ってこない…。

THE SMELL OF REBELLION/反乱のニオイ

お願いだからフォトブックに歌詞を載せてほしい曲Part2(SCHOOL SONGは当然のように載ると思っている)。

しばらくは視覚的な楽しさに目を奪われて、あまり歌詞に注目していなかったんだけど、トランチブルが頭おかしすぎてちゃんと歌詞を聞いたらわかるかなと歌詞に集中したけど、何言っているのかわからなかった。聞き取れなかったとかじゃなくて、何言ってんだコイツ???みたいな意味で。
なので歌詞をちゃんとテキストで読んだらわかるかなって…。

突然馬の真似をしだすくだり、「子どものいない世界を想像してみて。静かで風がせせらぎ、オウムが馬を守れと語る」みたいな感じだったかな…。いやマジで何言ってんの???

でもトランチブルが想像する世界が自然の音がする静かな世界っていうのが、マチルダのQUIETの世界と少しリンクしているのかもと思うとちょっと面白い。ようすは全然違いそうだけど。

「はい、トランチブル先生…」と力なく返事して、列に入ったマチルダに背中叩かれてはげまされているブルース…。WHEN I GROW UPでも「I have been to GICHI GICHI」って看板しょって心なしか元気がなさそうなので、相当ぎちぎちがトラウマなんだろうなと思っている。

ぎちぎちが恐ろしいものであるのに加え、チョコレートケーキを完食することを頑張った結果がぎちぎちなので、心が折れるには十分すぎるだろうよ。

QUIET/静か

我らのラベンダーが水さしに入れるイモリ、妙にリアルに動いてて笑った。あんな恐ろしい校長に仕掛けるにしてはイタズラのレベルが高すぎるぞ。

「デブで、●●な(思い出せない…)、いじめっ子!」って言われて、動揺してチャックを閉めてとりつくろうトランチブル。前編でも言った通りトランチブルは美人な妹がコンプレックスなのでね…。的確に地雷を踏みぬいていったマチルダ。

ここからトランチブルの台詞にエコーがかかるので、マチルダにとっての強烈なノイズってことなんだけど、そこから始まるQUIETの歌詞が詩的で、マチルダの見る世界が思う存分詰め込まれていて好き。

ここって初めてマチルダの苦しさが言葉にされるシーンかな?みんなが見ている赤と私が見ている赤が同じとは証明できない、私はみんなと違うのかもしれない。みんなができない計算ができるし、突然物語が頭の中に湧いてくるし…。

1幕でラベンダーが言っていた「脳みそがつまっていて頭痛くならない?」はあながち間違いじゃなくて、マチルダが受け取る情報量が多すぎて、理解しあえない人たちの言葉がノイズのようにうるさく聞こえる。

そういう過度なストレスが突き抜けて静かな世界に突入した、静かだけど沈黙ではない世界。いわゆる「ゾーン」というやつか?と思っている。
その静かさの例えとして「森の中にいるような」「本のページをめくるような」ときて、最後に劇的な展開を予兆させる「台風の目の中」と表現する描写に鳥肌が立つ。

ハニー先生の「面白かったわね」に気を引きがちだけど、「みんな早く家に帰った方がいいわ」とトランチブルが戻ってくる前にみんなを逃がそうとするハニー先生は守る力を持とうとする大人だよ…。

マチルダの超能力を目にして、理解の及ばない出来事に恐れながらも「おいしいお茶はいかが?」と返すハニー先生は、本当に人に敬意をもって接する人だなと思う。なんかあの、仮面の下を見たクリスティーヌの反応を思い出すなどした。

MY HOUSE/わたしの家

歌詞自体は「ささやかな現状に満足している」という内容なのに、実際に聞くとハニー先生のやるせなさが伝わるのが芝居のマジックだなと思う。

ハニー先生は泣きそうなときにぐっと前を見る人ってアフタートークで昆ちゃんが言っていて、それを知ってから見ると本当に、ハニー先生は目に涙をためながらも微笑んで前を必死で見ているんですよ…。そしてそれに脱出名人が寄り添っているのだけれど、脱出名人はもうこの世にいないのでハニー先生は気づかない。

マチルダは少し悪い子になってでも不公平を正そうとするんだけど、ハニー先生はそんな人生を受けいれてその中で生きていこうとする人なんだな。子どものころのハニー先生もひどい目にあっても決してパパを責めないばかりかパパを慮っていたので…。

真っ白でツヤツヤのスカーフでマチルダは自分の物語とハニー先生のリンクに気づくんだけど、これは「I’M HERE」で脱出名人にマチルダが白いスカーフをかけられていたから。

トランチブルはとんでもない人だけど、人を殺めるほどのことができるのか?と最初のころちょっと疑問視してた。なんかこう、バイキンマンは殺人(パン?)しないじゃんみたいな…。でもよく考えたら、子どもをハンマー投げの要領で投げ飛ばして飛距離を見るような人は、大人の男を殺めることぐらいできる倫理観だよなって思い直したので最近はすんなり入っていける。

でも脱出名人を殺めて家を乗っ取る、ハンマー投げの選手を辞めて校長として権威をふるうようになった背景は何があるんだろうね?原作がまだ途中までしか見れていないので、書かれているかわからないけど早く読み切ろう。
トランチブルが出てくるシーンで流れているアナウンサーの声に「いったい彼女は今なにをしているのでしょうか?」と明らかに聞き取れるように言われているので、何かトランチブルに過去があるんだろうな。

REVOLTING CHILDREN/子どもたちの戦い

「SCHOOL SONG」もそうだったんだけど、それ以上にこの曲はわけわからんぐらい泣いてしまう。「心が震える」とはこういうことか、という体験をしている。

正直あんまり歌詞聞けてなくて、歌声とパフォーマンスと、それまでの圧を打ち破り突き抜けるブルースの第一声で、自分の中の栓が急に解放されてしまう感じ。鳥肌が止まらない。

みんながラベンダーを庇うために口ぐちに間違ったスペルを言うときに参加できず一人椅子に座ってじっと耐えているブルースとか、ハニー先生があの叔母に怒鳴る「私が教えた!愛情と敬意をもって」とか、学校第一日目ではマチルダ以外字を読めなかった子たちが黒板に書かれたマグナスのメッセージを読み上げることができるようになっていることとか。

そういって一人ひとりが変わっていった結果が「革命」として自由を勝ち取ったんだよなって思うと、本当に素晴らしく、かけがえのなく、心が打ち震える。

最後に紙吹雪が舞うあの瞬間を思うと今家にいるこの瞬間でも泣きそうになる。

私はこの曲に出会えて本当によかった。こんなに心が震える曲、パフォーマンスに出会えたから、ミュージカル『マチルダ』が人生において大切にもっておきたい思い出になった。

日本でもトニー賞のようなものがあったらいいのにと常々思っている。演劇に関する賞はいくつかあるけど、そうじゃなくて日本トニー賞がほしいのは、劇中のパフォーマンスを披露する場があるから。

本当に素晴らしいパフォーマンスなので、日本中のみんなに見てほしい。でもやっぱりこれに感動するのはそれまでの生徒たちが重ねた過程があるからだと思うから、マチルダみんな観てくれ~~~~~の気持ち。

エンディング

「REVOLTING CHILDREN」でガン泣きして、フェルプスさんとハニー先生の語りにしんみりしているのを打ち破ってくるやかましい家族(笑)マイケルの「うしろむき!」がここで伏線回収されるの鮮やかすぎるよぉ。

セルゲイの「マチルダ~~~~~~~~」に「ダ?」「ダ!」と一斉にマフィアたちが襲い掛かるのは、ブルガリア語で「ダ」が「Go」とか「Yes」とかの意味だかららしい。アフタートークより。

私はこの戯曲を「マチルダが理解者と出会うための物語」そして「マチルダは家族から認められているという肯定を得るための物語」だと思っていて、それがこのラストのミスターとマチルダのやり取りにある。

何度も繰り返されてきた「ボウズ!」「私は女の子よ!」のやり取り。
思わず「娘を置いていけってか?」と口走ったミスターに「今何て言った?私のこと、娘って言った?」と詰めるマチルダ。

思わず「娘」と言ってしまった、と言わんばかりの表情をするミスターを見て、ああこの人は生物学上女として生まれていることを無視して男として育てようとしているわけではなく、女の子だったからこそ男のようにたくましい人間に育てようとしていたのかなって思った。

本を取り上げようとするのも本じゃ効率悪く賢くなれないと思っているからだし、ボウズと呼ぶのも強く育ってほしいからだし(圧倒的男尊女卑価値観なのは置いといて)。

まあその、ミスターは悪気があるわけじゃなく彼なりに我が子として見ていたんじゃないかなーって。だから娘を置いていく選択肢はなくて、マフィアに追われている中娘を迎えにくるし。

反対にミセスは無関心を貫いている(笑)「スペースもないし…」って、さては家族分しかないスペースにルドルフォをいれこんだからだな???

ちゃんとハニー先生の預かりたいという意思と、マチルダの残りたいという意思を確認して、「いいよ」と許すミスターに商売人を感じつつ、娘が自分の意思で残ることを決めているか確認する、意外と人を尊重できる人なんじゃんって思った。
それはセルゲイに散々「失礼な奴」だと言われたから反省してのことかもしれないけど。

マチルダはずいぶんハードルが低くなってしまっているけど、望まれていない子、愛されていない子だと思っていたところから、「家族に自分を個として認められている」という存在の肯定を得ることができたので、ミスターを父親だからと許し、家族を離れてハニー先生の元に残る選択をとることができたのかな。

そう思うと最初が子どもを愛している親を歌う「MIRACLE」から始まり、家族にマチルダが存在を認められて終わるこのミュージカルのテーマの一つは「家族」というところもあるんだろうなと思う。

マチルダは「望まれていない子ども」から、「家族として認められている子ども」になって「理解しあえる大切な人に出会う」ことで、ようやく呪縛から逃れて、大人になるための人生を歩み始める、そういうお話なんだと思う。



たぶんこれからもワームウッド家はバカだし、トランチブルもまた権威を取り戻すためにもがくだろう。

ブルースやエリック、ラベンダーたちはこれから色々なことを学び、勇気をもった大人になっていくだろう。マチルダのように戦うことを知ったから。

きっとマチルダはこれから「正しい」ことだけでは人を傷つけることがあることもあると思う。でも「正しくない」と拒まず、互いに敬意をもって接することができる「大人」になるために、ハニー先生は導いてくれると思う。

「いつかは 力持ちになるよ 大人が持たなきゃならない 物をちゃんと持つため」

WHEN I GROW UP/いつか


このミュージカルの日本初演に立ち会えて幸せだなと思う。
どうか無事に、最後まで奇跡が起き続けますように。

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