ミュージカル『ジョン&ジェン』感想と、私と母の話

自分語り多めでいかせてもらいます。ネタバレ有りなのでご了承ください。



私と母の話

今年の9月、母が倒れた。

脳内出血で、緊急手術。
あとは意識が戻ることを祈るしかないと、早朝姉からの電話で聞かされた。

すぐにでも九州の実家に帰ると言う私に、集中治療室にいるしコロナで面会はできないから、仕事をしておけと父は言った。

私の母は、私に対して少し過干渉だったと思う。

小学生の頃、みんながまだ遊んでいる中、門限が早い私は一人で抜けて帰っていた。習い事から帰るとき、友だちはそれぞれ歩いて帰っている中、500mほどの道だったが私だけ母の車の迎えを待っていた。

学生の頃、私は頼み込んで寮に入れてもらった。
その頃、毎週のように「今度の土日は帰ってくる?」とLINEが入っていた。
家に帰ると、日曜の夜に母は涙ながら送り出し、寮についた頃にいつも寂しいとLINEが入っていた。
それを徐々に重く感じた私は、月に1度は帰っていた実家に徐々に寄り付かなくなっていた。

震災をきっかけに実家に戻ったが、就活の頃、母に地元に就職してくれ、せめて九州にしてくれと言われていた。東京の企業を受けたいというと大反対された。
私はどうしても東京に住みたかったから、転勤を狙って東京にも九州にもオフィスのある会社に就職した。すると配属が東京オフィスになったので、無事に東京へ行くことができた。

長期連休で帰省すると、食べきれないほどのご飯が並んだ食卓で、母は必ず「転勤はできないの」「いつ戻ってくるの」と泣きそうな顔で話していた。東京に戻るとといつものように寂しいとLINEが入っていた。

憧れの東京で、どんどんできることが増えていく仕事が楽しかった私には、母のそんな言葉がとても、とても重く苦しかった。
「しばらくは無理かな」「いつになるんだろう」とごまかしつつ、ずっと苦しかった。だから私は「コロナだから」「仕事が忙しいから」と、1年、2年と帰らないようになっていた。

母はいつからかそんな私に気づいて、「今やりたいことを頑張りなさい」と、寂しいと私に言わないようになった。
言わないようにしていることが、私にはわかっていた。

母の意識が戻るのを東京で待つ間、そんな母のことを思い出し、最終的にはやりたいようにやらせてくれているのに、私は母の「寂しい」に一切応えなかったことに気づいた。
母の愛を受け止められず逃げてばかりいた自分に気づいた。

たくさんの習い事をさせてくれたし嫌になったら辞めさせてくれた。寮に入るのも東京に行くのも最終的には許してくれた。
東京で鬱になって希死念慮が出たときも、「母が悲しむ、私が死んだら母も死んでしまう」と思えたからこらえていた。
母が私を大切に愛してくれていたことを、私はわかっていた。

母は無事意識を取り戻し、後遺症が残るものの、会話はできる程度に回復し今リハビリに取り組んでいる。
「私は母の愛に何を返せただろう」「このまま何も返せずに終わってしまうのか」そういった気持ちはあの日からずっと消えない。

ジョン&ジェン 感想

ミュージカル『ジョン&ジェン』は、姉と弟の話と母と息子の話を2幕で構成した物語だ。

1幕

1985年、六歳の少女ジェンの家に、ジョンが生まれる。弟を温かく歓迎するジェンは、暴力を振るう父親から守り抜くことを誓い、ふたりは支え合いながら成長する。
やがて10代になったふたりの関係は少しギクシャクし始めるが、ジェンが大学進学のため家を出る時になると、ジョンは姉を引き留めようとする。しかし、自由を望むジェンは、振り払うように出ていってしまう。
NYに出てきたジェンは、刺激的な環境で生活を始める。一方で、ジョンは父親の影響を受け始める。やがて、同時多発テロが発生。それは、イラク戦争勃発の引き金となり、ふたりの人生をも大きく変えてしまうことになるのだった。

https://stage.parco.jp/program/johnandjen

1幕、私は家を飛び出すジェンに共感していた。
私もずっと家から出たいと思っていたから。早く1人で誰にも何も言われることのなく自由に生きてみたかったから。

だから弟をいざ失ったとき泣き崩れるジェンを見ていられなかった。自分にもありえる未来だったと思うから。

1幕は社会で起きた出来事により価値観が変わっていく中ですれ違ってくる2人を描いていると思うが、ジョンが軍人を志すようになったのは、ジェンが「2人の家を守って」と伝え離れていったからではないだろうか?
1人でも家を守れるようになるために、ジョンは「つよくて」「えらい」憧れている父のように軍人になろうとしたのではないか?
ジェンにとっての父は「暴力的で」「高圧的な」人だったと思うが。

ジェンもそれをわかっていて、でも父に対する嫌悪感から、父になろうとする弟とも向きあおうとしなかった。きちんと会話をして、自分と共に連れて行ってあげればこんな未来はなかったのに。

2幕のジェンの狂気的たる部分は、「連れて行ってほしいと望んだ弟を拒んだ」後悔が作り出したのだろうと思う。

観客として俯瞰的に見たときに2幕のジェンの行動は咎められるものだと思うが、もし自分の後悔をやり直せるときがあるなら、そう考えるとジェンの行動を責めてばかりもいられない気がする。


2幕

時は流れ、2005年、ジェンは恋人ジェイソンとの間に息子を授かり、弟にちなんでジョンと名付ける。弟の面影を重ねながら、手塩にかけて息子の世話をするジェンだが、当の本人は過保護な母親を少し疎ましく思うのだった。
ジェイソンとの別れや父親との確執など、様々な問題を抱えながらも母親として必死に頑張るジェン。一方で、母の期待とは裏腹に叔父のジョンとはまるで違った人間へと成長していく少年ジョン。
やがてジョンが大学への進学のために家を出ると決めた時、母子それぞれが、自らが抱える人生の問題と直面することになる。

https://stage.parco.jp/program/johnandjen

2幕、私はジョンに共感するが、それ以上にジェンに母を重ねていた。

過保護で過干渉なジェン。それを疎ましく思うジョン。
まるで母の言葉に苦しんでいたときの自分のようだった。

ジョンがジェンの「行かないで、ジョン」を聞いたときに「ここから離れられない」と決意するシーン。私が鬱で死にたいときに、母を思い出して死ななかった時のことを思い出した。
あの時の私は、「私を愛してくれる人はいる」とか、そういう綺麗な思いでやめたわけじゃない。ただ、母を殺したくなかった。私が死んだら母も死ぬだろう、そう思うと私は殺人者にはなりたくなかった。それだけ。
だからジョンも、母を殺したくなかったから夢をあきらめたのだと、そう思えた。

ジェンが弟のジェンを愛しているからこそ囚われるのをやめようと決意する歌の中、私は頭の中でずっと「ごめんなさい」の言葉がぐるぐるしていた。
私から離れるのにこんなにも涙していたのかもしれないと、そっけない私を大きな覚悟のうえで自由にしてくれていたのだと。

世間では子どもを縛り付ける親を「毒親」と呼ぶのかもしれない。
ジェンも「毒親」だとカテゴリーされるような親かもしれない。
でも母からの愛に生かされていた私にとって、母は「毒」なんかではない、最良の存在で、大切な存在だった。「母から愛されていた」ということが、何よりも私を支えてくれていた。
そんな母のことが大好きだったと、そう気づいた。

最後のジェンとジョンのデュエット。弟とは話もできずに離れてしまったから、息子のジョンと母のジェンは向き合った末にお互い離れることを決断できた。1幕の回収をしつつ、演者が舞台を降りてストンと座って幕が切れる。

これからこの2人はどうなるかわからない。
この話の続きは、きっと自分と母が向き合ったときに紡ぐことができるだろう。


年末、帰省するころに母は退院しているはずだ。
向き合っていない時間が長すぎた。そしてこれからも、私は母のそばにずっとはいられない。
何から話していけばいいだろう。まずは今まで照れて言えなかった「ありがとう」から始めてみようかなと。

改めて家族と向き合うことについて考えさせてくれたこの舞台に、出会えたことに感謝します。

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