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言い訳

久しぶりなので、まず言い訳から入ります。

新型コロナが騒ぎになり始めてから、私もなんやかんや思うところはあったので、noteを書こうとしたこともあったのです。ですが、書き始めると進まないのです。

なんせ、「確かな情報」がどこにもない。世界中見渡してもどこにもない。

マスコミの報道、政府の対応、あの人がああ言ってること、全部正しいかそうでないかの判断がつきません。それは普段からそうかもしれませんが、コロナに関してはそれが毎日コロコロと変わります。評価は毎日入れ替わり人の言うこともコロコロと変わる。何処を見てもただ煽り立てるような情報が多く、感情的な意見がネットを飛び交っている。

一応形に残るこの場に、間違った情報や一時の感情に流されたような文章は書きたくないと言う気持ちはありました。自意識過剰と言われればそうなんですが、一応の気概です。


…とまあ、格好いい?ことも言ってみたりなんかしてみたりなんかしましたが、本当のところは「何も考えなかった」のです。

緊急事態宣言くらいになると、ぼんやりと思ったわけです。「これは、何も見ない何も考えないのが正解じゃないか?」と。

戦う相手がウイルスであるのなら、毎日感染者数の上下に一喜一憂して、政府の対応を罵って、不安とストレスを溜め込んでしまうのが一番の悪手じゃなかろうかと。こう言うときは心穏やかに、出来うる限りの普通の暮らしをした方がいいんじゃないか、自らストレス源を見に行ってストレスを溜めて、わざわざ免疫力を下げることはないんじゃないか、とそんなふうに思ったわけです。真剣に発言したり行動したりしている人には怒られそうですが、どのみち私には正解なんてわかりませんし。

幸い、自粛生活自体にストレスは無かったのです。時々近くのスーパーに買い物に行くだけ、あとはほぼ在宅。普段からちょっと仕事が立て込むとすぐにそんな感じになるので、全く珍しくもないのです。今回は仕事は特に立て込んでいるわけではなかったので、休日はのんびりと布マスクを作ったりしていました。

ただ、そうやって何も考えずにぼーーーっとしていれば、文章は書けません。幸いストレスを溜めなかったせいなのか、腎臓も空気を読んだのか、緊急事態宣言中も腎臓の状況はほぼ現状維持でとどまりました。

このコロナ禍で学んだことがあるとしたら、「人は割と平気で嘘をつくんだなあ」ということでしょうか。もちろんコロナ禍はまだ継続中ですし、様々なことについて評価が定まるのはまだまだずっと先のことだと思います。


最後に近況です。

透析開始が決定しました。

前回の診察でまた数値がガタッと落ち、医師から「数値的には透析を始めてもいいくらいにはなってます」と言われていたのですが、ここ2週間ほどで急速に体調が悪くなり、仕事に支障が出る勢いになってきました。あまり感じてこなかった「倦怠感、胃腸の不調、食欲減少」を今もじわじわと体感しています。流石に自分の腎臓が虫の息なのを感じます。

で、診察時に「体調悪いっす」と言ってみたところ、あっさりと透析開始が決定しました。

透析を始めるにあたっては「透析導入入院」というものが必要で、要するに入院も決定しました。10日間予定だそうなので、人生最長の入院期間となる模様です。

まもなく入院です。そしてグッバイ小笠原諸島もう会うこともないでしょう。まあ、こればっかりはしょうがない。今度伊豆大島にでも行きます。

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