見出し画像

Day 3 - a film that has more than five words.

Day 3 - a film that has more than five words.
Dr. Strangelove Or: How I Learned To Stop Worrying And Love The Bomb (博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか) 1964年

長いタイトルの映画といえば真っ先にこれを思い浮かべる人も多いのではなかろうか。
水爆の父、エドワード・テラーをモデルにしたと言われているこの映画。私が最初に観たモノクロ映画でもあるのだが、戦争ギャグ映画にしか観えない。痛烈な米ソ冷戦批判映画であろう。
状況は常にシリアスで、今にも世界は滅亡しようとしているのに、どこかコミカルに物語は進む。劇中に流れる「Johnny I Hardly Knew Ye」もそれに一役買っているだろう。クライマックスの博士の奇行と発言も薄ら寒さを感じながらも、その異常さに笑うしかない。

さて、実際のテラーがどんな人物だったかは知らない。ただ、同じ原子爆弾に関わっていたオッペンハイマーとのその後の対比から、少しだけDr.Strangeloveに通じる狂気を垣間見ることができるのではないか。
オッペンハイマーはロスアラモス国立研究所の初代所長に任命され、原爆の製造チームを主導した人物であり、原爆の父と呼ばれている。オッペンハイマーは、原爆を作ってしまったことに対し、後悔を吐露していたという。その様子は残っている彼の映像からも伝わってくる。
「我々は世界が同じではなくなったことを知った。一部の者たちは笑い、一部の者たちは泣き、多くの人々は沈黙した。ヒンドゥー聖典「バガヴァッド・ギータ」を思い出した。ヴィシュヌ神が王子に責務を果たさせるため説得するため、多くの腕を持った姿で現れ言うー”我は死なり、世界を滅ぼす者なり。”我々も皆何かとそう考えたはずだ。(We knew the world would not be the same. A few people laughed, a few people cried. Most people were silent. I remembered the line from the Hindu scripture, the Bhagavad-Gita; Vishnu is trying to persuade the Prince that he should do his duty, and to impress him, takes on his multi-armed form and says, 'Now I am become Death, the destroyer of worlds.' I suppose we all thought that, one way or another.)」
戦後、核爆発によってもたらされた惨状を目の当たりにした彼は、核兵器の国際的な管理を呼びかけ、反核の立場を取ったため、テラーと対立した。更に赤狩りの犠牲となり、公職を追放されたオッペンハイマーは、夢であった平和への道を完遂することなく、失意のうちに62歳でこの世を去ることになる。テラーは95歳まで生き、水爆開発について後悔をすることは一度もなかったという。

マッドサイエンティストはフィクションの中だけに留まっておいて欲しいものだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?