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元取り駅伝、コースをそれる


最近よく行く飲食店で、今日、メンバーズカードを作った。

よく行くといっても毎度1時間にも満たない短い滞在だが、開店直後の早い時間は1人でも落ち着いて過ごせるので気に入っている。

何度か訪れるたびに作りませんかと声掛けがなされていたが、作るのに500円かかるので毎度断っていた。

持っていると毎回割引になったりとそれなりに特典は付くのだが、今どきクレジットカードも無料で作れる時代にポイントカードの入会金をわざわざ支払う気にはなれなかった。


ただ、今日作ってしまった。


今日は特別な日で、会員限定で全商品が30パーセントオフになるというのだ。


金銭的に余裕がない自分にとっては魅力的だが、それが決定打ではない。
ましてや「今日お作りいただくとビール2杯で元が取れます」という念押しに揺らいだわけでもない。


そもそも自分は計算が大の苦手だ。

「普段ビールは割引になりませんのでお得です」と言われても、元々450円のものを注文しようとしていたのに700円の30パーセントオフの商品を2回頼んだら1000円近くなるし、元といっても500円は支払うわけだから結局想定の3倍の値段になってしまっている。


それが今の自分にとってお得かどうか考える前に頭の回路がショートしてしまった。


単に、頻繁に訪れる場所で毎度聞かれることにノーを示すための体力を温存したいだけで、ついでにお得になるならいいかと考えたのだ。


昔から「元を取る」ということが得意ではない。

元を取ることは、簡単ではないからだ。


自分は食事においてわりと量を食べる方だと思うが、その分とにかく食べるのが遅い。

幼い頃からコンプレックス堂々の第1位だった。

相手がなんとも思っていない可能性が大いにあることもわかっていながら、やはり気を遣ってしまう。特に初対面の人と食事することが苦手だ。


学生時代、とにかく量を食べたい時期に皆がよく行く食べ放題は特に辛かった。


本当は人より多く食べないとお腹がいっぱいにならないが、90分制なので前菜を食べている間にラストオーダーになる。


元が取れるわけがない。
仕方がないのでとりあえず目の前にあるものをおかずに白ごはんを食べていた。
満足そうな友人たちがいつも羨ましかった。


ドリンクバーでも元は取れなかった。
胃腸が強くないのでジュースも飲んで1時間にせいぜい3〜4杯だし、コーヒーが大好きなのにカフェインにも弱く1日2杯が限界だ。


元を取るという呪縛は、なにも食事だけではない。

テーマパークや、なにか体験に料金を支払う際にも、学生時代は「元取らなきゃもったいないよね」という空気になることがあったし、自分自身も現在進行形でその呪いにかかりにいっている。


そうなるともう、いま、元を取れているのか、ということへ意識が向いてしまうときがある。


これは元のどのくらいの地点だろうか、分からず走り続けている、ゴールの見えない元を取るレース、いま走っているこの元、この元を駅伝とした場合今何区?そもそもこの区間、いや、全区間で計何キロメートルくらいなんだろうか。元取り駅伝のなかでペース配分を誤り、次の走者へたすきを繋げられないまま繰り上げスタートしてしまうことへの不安が襲いかかる。必死の形相でこの区間走りきることだけに意識を向ける。楽しまなきゃ。この時間を楽しまなきゃ。一滴もこぼさず楽しむのだ、この果てしない道のりを!



楽しいわけがあるか。



目の前の出来ごとをただ楽しめばいいのに、なんて貧しい生き方なんだろうか。





生き方・・・・





生きるって・・・もしかして、元取り駅伝?



生まれてから今まで走り続けている、ゴールの見えないレース、他に走者のいない孤独なレース、一生たすきを手渡すことのないレース、今、人生の何区?20代だから2区?いや、10歳までが1区なら10代が2区で、20代は3区だろう。数え方、世紀と一緒だ(笑)さすがにまだ往路か、けっこう険しい山道を登ったり下ったりしている気がするが、自分はこの瞬間を大事に1歩1歩進んできただろうか?いや、きていない気がする。自分は20代前半は記憶が曖昧なくらい落ちていたのだ、そもそもこれまでの人生特に何かを成し遂げたことなどない。成し遂げる必要がないと気付いて久しく、現在は前向きだが、元を取れているかいないかで言えば断然取れていない気がする。これまでの日々を取り返そうといま急加速してみるか?スタミナ切れでリタイアしたらどうしよう。温存しなきゃ、いや温存してゴール前で後悔したらどうする?元を、人生の元を取らなければ、元、元、元・・・・




元?


人生の元ってなんだろう・・・



取るべき「元」というのは、金額や、時間や、距離など、あらかじめ決められた数字があって、初めて定義できるのではないか。
それがあるからこそ、焦ったり、満足したりできるのではないか。
それも含めて、人生が豊かになるのではないか。



人生はあらかじめ決められていない。
期間も、価値も、その中で推奨される楽しみ方も、案内図もなければコースもない。
中継車もいない。自分の人生は公共の電波でお茶の間にお届けされない。自分を必要以上に見つめる目は存在していない。

何より自分自身が、決められた範囲内でしか満足できないものではない。



なーんだ、よかった。
はなから元など存在しなかったのだ。


あやうく人生の元取り駅伝で一人走り続けるところだった。

コースからそれて、無事荒野をはだしで駆けめぐることに成功した。


割引ビール(500円の入会金つき)を前に、もっともらしい結論にたどり着けて心底ほっとしている。

平日、気付けば客もまばらだった店内が、席を埋めつくすほどの賑わいをみせていた。
グラスに残った割引ビール(500円の入会金つき)を飲み干し、足早に店をあとにした。
1杯しか頼んでいないので、もちろん元は取れなかった。



自分が今よりほんの少しお金を持ったら、4500円の2時間制ホテルビュッフェに行って、新鮮な野菜のサラダとスープとオレンジジュースをゆっくりいただきながら、友人と優雅に語らいでもしてみようかしら。


いや、自分はきっと何年経っても、今日支払った入会金500円の元を取りにあの店に通ってしまうだろう。


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