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エスコートに参加して
地方から東京に、修学旅行に来た中学生を、東京の街や企業訪問をし案内するというボランティアを最近している。
中学生と関わる機会なんてほぼなく、施設にいた時にいた中学生の、あのイメージで止まっていたので、今回3回ほどボランティアとして、合計18人の中学生と関わらせてもらい、あれ、中学生って、こんなに素直なんだ!とか、当時の自分と比べて反省したりなど、新しい発見や感覚があった。
エスコートをしていて、感じたこと。
中学生は当時の私より、周りの人のことを悪く思ったりしない。私は、とにかく人を評価していて、とにかくみんな嫌いだった。
人を差別することも、偏見もない。
私は、愚かだけれど、偏見まみれで、人を差別的に見ていた。
ただ、同じクラス、同じ班になった人と時間を共有する。反抗心もない。
大人に対して、ちゃんと大人への態度を取る。
私は大人に対して反抗的で、クソ生意気だった。
これまで書いてきたように、心の中ではいつも、すべて嫌悪感と、偏見と、クソどもめと思う感情を何時でも抱いて、生きてきた。
でもこんなことは
大ぴらにいうことじゃないので、隠している。
私は、自分に奢りすぎている。
自分は優秀な人材であると思っていた。能力を隠して生きて、誰も見つけてくれないと心の底では思っていた。
自分自身の本性や、野望や、うちに秘めてる負の感情も前向きな感情も含めて、
気持ちを出さなきゃ一生変われないと思った。
話の流れがあちこちにいって、全然上手くない文章なんだけど、とりあえず書いて書く。
本気出してないから、って自分からしてるのって、ほんとにダサいし一生成長しないと思う。
周りの人は、自分より遥か遠くにいて、どんどん前に進んでいく。
その脇で、自分は一生、文句を言っている。
本気出してねえから?!っていつまでも同じことを言っている。
誰も自分のことを、振り返る人はいない。
みんな先に行く。私は、誰かが私のことを気にしてくれていると思っている。そして、声をかけてくれることを期待している。
中学生との関わりを通して、中学生を楽しませるスキルもなければ、盛り上がるようなトークもコンテンツも、できるわけでもなく、なんのスキルも大きな人間性もなかった。ことに気づいた。
今更になって気づいた。
こんな真面目に振り返る人もいないんだろうか
一緒にボランティアに参加した大学生もすごかった。明るくて、統率力があり、カリスマ性があった。
その人たちは、
この世を恨み、自分の才能を見出してくれなかった世の大人たちを、クソ野郎と思って生きていた、大学生の頃の自分と、ほど遠くにいて輝いていた
今回は自分がいかに無力でクソな人間かということ、
中学生のポテンシャルの高さ、人と関わるということはどういうことか、就活のために生きること、大学生ってこんなにいるんだ!
一つ一つの瞬間や事物を、気にすることじゃない
ということを感じられることができた。
何より、中学生は本当に素直で、可愛かった!
幸せだった。幸せだといいな。心から関わらせてもらってありがとう。
この気持ちだけは素直にあるということを、忘れないでいたい。
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